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      [こちらは常にトップ記事となります]
      ※下の各タイトルからアクセス頂けますと、分割で投稿した話を1ページにまとめてお読みになれます
      ※※5000字以上の記事には適当と思われるchapter番号の横へ残文字数を表示します。現段階では旅行記・夢見集には採用しておりません(試行中です)


      〇エッセイ(物語構成)
      【1】自分がいなかった頃(3447字)
      【5】人生の仕事始めに(7910字)
      【6】幸せ一粒、二粒(3920字)
      【8】ARAMAKI(6923字)
      【11】BONBON!!(7216字)
      【12】僕らはイカロス(5327字)

      〇エッセイ(雑記)
      【3】NHK教育と無頼派(1942字)
      【4】ヨッチャンと不良こども(2002字)
      【7】私の顔(3868字)
      【9】休憩室にて(1102字)
      【10】昔見た女に再び出会う(3482字)


      〇小説メモ(習作)
      【1】僕と森星(8262字/未完)
      【2】宛先のない手紙(4222字)


      ※夢見をまとめました。5話もしくは大体5~7000字目安です
      ※※2015年10月19日以降、カテゴリ夢見は別ブログ《Ununzの夢見》に投稿致します。なお、夢見集は当ブログでも引き続き更新していきます
      〇夢見集
      【38】〜【42】『……報酬の話に移ろうか』(952字)/『光明のない闇に流され』(1045字)『支柱に活を見出せ』(781字)/『そんなリリーに騙されて』(540字)/『ファイル星雲』(1488字)

      【33】~【37】『いやなことを思い出す』(423字)/『和解・成長・疑惑再燃・復讐』(1715字)/『代わりといってはなんだけど』(491字)/『濡れた布団もいつかは乾く』(916字)/『嘘栄養学入門』(333字)『俺は遠慮しておく』(494字)

      【28】~【32】『謎スープ』(358字)『誰かの通信簿』(340字)/『お茶目なブギウギ』(793字)/『どいつもこいつも好き放題言いやがれ』(814字)/『バブルのツケを今払え』(872字)/『落ちぶれた山師が仕事を探す』(620字)

      【23】~【27】『ついにこのときがきたか』/『焚き火と音楽と破れた世界』/『かなり単純な連打ゲー』/『昔の友達待ち惚け』/『真夜中ァ~電気ィ~保安ン協会』

      【18】~【22】『暇人にも1日は彩り多き』(1546字)『暗躍する勢力とビッグブラザーの帰還』(663字)『夢よ醒めること勿れ』(1701字)『兄帰る』(1150字)『人口生命は猫を怖がる~彼らを見捨ててはおけない』(708字)

      【13】~【17】『仁義と学園都市とたまたま銀髪~そして伝説へ』(1435字)/『元気だせよ、マイフレンド!!』(1070字)/『退屈な胆試しツアー』(805字)/『揺れる』(1120字)/『イミテーションと公共放送』(1550字)

      【9】~【12】『愛犬家の集い』(229字)『回虫発生』(550字)修正版/『アンファンテリブル』(2000字)/『流石の中西節』(970字)/『試験までに駆け抜けろ』(2640字)

      【4】~【8】『TVの向こう側』(1269字)/『私の家は盛り土の上に不安定に拵えられ』(1544字)/『知らない夜のなか』(620字)/『ここは男塾ですか?』(969字)/『女子高生になったしずかちゃん』(1358字)

      【1】~【3】『臭気○○器』(2559字)/『彼女は何をしている』(2703字)/『誕生日騒動記』(2394字)


      〇日記2004を通しで
      【1】『日記を始めるにあたって』(872字)/【2】『貧すれば鈍すれば貧す』(1220字)
      【3】『嗚呼、掃除日和かな?』(3401字)
      【4】『輪郭が風化する。残されたものは』(6777字)
      【5】『元女王』(11324字)


      〇タイ旅行、後日まとめ記(完)
      【全6月24日/6月27日分】(7191字)
      【全6月30日分】(6727字)
      【全7月2日分】(6313字)
      【全7月4,5,6日分】(6629字)
      【全7月11日/7月15日分】(6377字)
      【全7月18日分】(6280字)


      ※多少の時間潰しになればいいのです
      〇カテゴリ外周
      【2】血を祝す天と地の福(42行)
      【3】臆病者は彼をして自ら首を絞むる(2780字)
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      日記帳から2003-2004【5】月刊○○ケアの事後報告を兼ね〜2





      (1543字)
       仕事を始めてわずか数週間、果たしてこの事務所が本当に存続していけるのかと不安に覚えることが何度となくあった。個人事務所を立ち上げたばかりだから仕方が無いのは分かるが、半ば投げやりな行動を取らせた理由の一つでもあったことはあった。
       二回目の給料の支払い日が未定になっている、初回の給料が事前に話していた金額よりも若干少なかった等々。喉の奥に色々と引っかかっていた。自分はそれなりに頑張っているのに給料の金額も少なく支払い期日も不明瞭だし、こちら側が常に譲歩させられ、負担や義務を過分に背負わされているような気になっていたのだった。
       事務所開設のため渋谷のはずれに空き室を借り、まずは家財道具一式を運び入れる作業から始めなければならなかった。ガス台を設置し、テーブルを一卓に椅子を六脚。それと仕事用の机二組を窓に対して直角に並べる。最後に一人暮らし用としてはちょうどいいくらいの食器棚を部屋の角に置くことにした。
       事務所が本格的に開かれてからは、やっと本来の仕事にとりかかる新たな段階となるのだった、が。月刊誌本体の紙や装丁、デザインはては執筆陣に支払う金に至るまでを捻出しなければならず、実は上記したものや引越し費用を差し引いた上に、事務所を構えるまでの半年近くの準備期間に費やされた雑費用も加えると、計画の構想を始めた段階あたりからM先生がどこかからか掻き集めていた事業資金も底をつきかけていたのだ。
       ついには先生自らの口座から生活資金の一部をいくらか切り崩しもしなければならなくなっていたという。何度かは、私やH君に対しても資金のやりくりに困窮している事実を口にしていたのだ。

       Hさんは恐いと思う。あの絡みつく口調自体は感情次第では誰でも使うものだけど、彼が使うとなんだか真実味があり、凄みがある。先生に最初紹介されたときには見た目が恐いと(やくざ崩れとでも形容したらいいか、なんとも言えない威圧感があった。ただ、それはもちろんただの印象で、実際はかつて左翼活動家だったという話を後日、本人から聞くのだが)、半ば単純な印象を受けていたに過ぎない。
       しかし脅しともつかないような言葉をかけられた今では、やはり彼には鬱積させた感情をここぞとばかりに一気に爆発させる類の、人の肝を冷やさせる恐さがあると再確認された。やはりやくざや右翼に感覚的には決して遠くないと――そして、内ゲバなどでリンチ殺人などをした一部の左翼活動家たちがいたと後になって知り、結局同様の連中ではあると――思わせたのだった。
       実際に陽の下を歩けないような相手と付き合いがあっても違和感の無い人だとの印象自体は、ある意味では間違っていなかったのかもしれない。

       先生の知り合いということもあり、のちの彼自身の話からしても左翼活動家崩れなのだと分かるが、この時代に左翼活動家の生きていける場といえばかなり限られている。企業内部の名目だけの馴れ合い組合か、行政や公共性の高い企業に対する苦情や要請を代行する、もしくは労働問題を取り扱う市民団体、NPOくらいしかないのではないか。
       ただし現在では単純な理想主義、教条主義に生きる新しい時代へ適応できない活動家には発言、活動する場所はほとんど与えられない。企業内部組織以外は反体制(ゆったりと非体制だろうか)を謳ってはいるがある意味では体制側とがっぷり四つか……。

       話は少し前後したが、Hさんは現代のややスマートにそして実際的、小利口になった「左翼活動」には参加しなかった。多少の関わりを持ったのか、とにかくもそぐわなかったのだろう。学生運動盛んなりし時代は終わりを告げ、その後いつまで運動に関わっていたかは分からないにせよ、結局はかつての人脈なども利用して彼は職をいくつか転々としていたようだった。




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      日記帳から2003-2004【6】月刊○○ケアの事後報告を兼ね〜1 修正版








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      ※前回のエッセイ『壊れた時計と五十時間』の続きはそのうち投稿します

      私の文章は基本的にパソコンに保存されたものを手直ししての発表ですので、本来はそこまで時間はかからないはずなのですが、最近は駄目なのですね。本来書き下ろしを分割して投稿する、いわば書き下ろし連載が基本のつもりなのですわ。でも、筆が進まない……なんてのはちょっと違いますかね。ただとにかく、気が向かわないんです。そうです。まあ、チンケなしょうむない野郎のジメジメ救いよう無しの自虐風情な繰り言と聴こえたら、あるいは聴こえてこそ聴き逃してください

      さてとりあえずやります。今回のはちょっと長いです。2〜30回程度に分けます。ただの日記ですが、私にとっては意味のある文章群です。鬼のように推敲だけはしていました。少なくとも、これがその当時(三年前)の推敲の限度なのです。ま、今はもういくらか良いはずですけど



      (2011字)
      2003年10月01日(?)
       ああ、とにかく仕事が見つかったというのは本当に良かった。昼間に寝ていてもあまり気にならなくなった。名刺を人に渡すときや友人に話すとき、あの人に業界のことについて話したり色々相談するときなど、私の顔はやけに明るく(無闇矢鱈に)見えるだろう。もちろん一々人に指摘されるほどの表情をして話しているわけではないと思うが、にやついた自身の顔を意識せざるを得ない。
       ただ一つ言いたいのは、「仕方が無い」のだ。なにしろやっと仕事を見つけた安堵と、学生時代の縁がきっかけだったという――なにやら奇跡的な偶然が起こった――驚き、わずかなりと他人に認められた確かに喜びがあるのだ。
       望んでいた出版の業界に関わり、取材や書き物、編集といった全般的な作業に携われる(人が少ないから)ことと、営業を少しだけやった結果が悪くなかったという矜持によるものからも来る。それぐらいは大目に見て欲しい。何故なら今まで私は、〈本当にどうしようもない不具者〉だったから。
       眠いので明日続きを書きたい。北海道という居酒屋に行った話、帰りの金の話(うんざりだ)など。





      2003年10月13日
       事故で急死したN君の葬式に行った。初めはなんてことなかったが、焼香のあたりから急激に悲しくなってきて、その後トイレで随分泣いた。なんであんなに泣いたんだろう? 自分でも不思議だった。N君、俺はこっちの世界で頑張るつもりだったけど、今現在やっぱり自信が無い。本当に自分は弱い奴だと思うよ。俺には精神病の萌芽があるのかもしれない。なんだか色々と考えていると爆発しそうになる。

       Hさんから電話を受けた。午前十二時前、つまり夜中の電話。かなりきつい口調で酒も入っていたみたいだ。「なめているのか?」「辞めるなら辞めていい」との繰り返しだった。
       営業の結果について連絡をしなかった私が一方的に悪い。友人が死のうが『月刊○○ケア』には何の関係もない。仕事は仕事、私情を挟んだこちらが愚かだったんだ。受けた電話では式に出席したとは伝えていない、というか全く喋らせてもらえなかった。ただ、言い訳の出来るタイミングがあったとしても、そこまでを酌んでもらえると期待するのは甘えでもあるだろう。
       葬式が始まる時間の直前に遅れて到着すると、他の友人の姿は見えず斎場の受付では数人が順番待ちをしていた。ふと一息ついて場内の時計を見上げた際、Hさんに仕事の報告をしなければとも一瞬頭をよぎったのだ。そこで電話をかけることは避けるべきかと周囲を見回したが、適当な場所は見つからない。一旦受付の前を離れ、戻ってから再度並ぶくらいの時間が式の開始までにあるかは分からなかったし、仕事の都合で急に来れなくなった友人の分の香典をまとめて渡さなくてはならず、それへの用意に手間取っていたのだった。
       頭の片隅にしつこくもこびりついている、「やらなければならないらしき、いくつかの雑事」は、人の都合を考慮せずにいつでも間の悪いところで割り込みでかい顔をする。それへの対応を結局無視すれば大抵自分に不利益がかぶさってくるのだが、本来的にはやはり優先順位が低いはずの事柄でしかないのではないか。ほとんど意味がない白々しいばかりのお約束行動を求められているのでしかないと思え、次第にそう考えだすと仕事に関する形式的な事後報告が億劫になっていった。

       朝一で事務所に報告をすれば、今日の状況からの変化はほぼありえないので――新刊の注文は、基本的にこちらの用意した注文票を書店からFAXで送ってもらうことになっている。FAXは事務所の机の上でしっかりと寝ずの番をしているので、書店が営業を開始する時間より早めに事務所へ行って、注文があったかどうかを確認すればなにも問題が無いはずという風に。もちろん電話でも受け付けてはいるが――、営業の報告は明日で構わないかと思うようにもなっていたのだった。
       確かに無責任な行動だと非難されるかもしれずとも、まだ発刊までには間があり、それまでは連日仕事をこなし報告もしっかり行っていたのだ。毎回紙に出力されたリストに並んだ書店を地域ごとに訪問した数を伝え、次の日はどこどこに行くと、今回の式の前日にも仕事に関する事前確認を欠かしてはいなかった。
       営業はリストへと一列に記された書店を地域単位で廻っていくやり方だったので、密集している都市部などではまとめて数をこなせるし、程度一日の仕事はこちらの裁量に任されてもいる。例えば次の日に前日の穴埋めをするため早めに家を出て、残した分と合わせ隣り合った地域を回ればいい。もちろん、事前にHさんに友人の葬式がある旨を連絡しておけば問題はなかった。ただ、式に出席するまでは斎場に向かっている途中か終わってからでも、ようするにそのつもりはあった。
       何故終わってからでも電話を一本いれなかったのか。今まではちゃんとやっていたから一回くらいという上記した甘い理由もある。
       その場にいることが耐えられなくなった私は集まった元同級生より一足先に帰り、対向車線からのライトと時折の街灯に照らされる道をふらついた足取りで駅に向かった。電車の中では何も考えられず、自宅までの長い時間正面の窓をひたすら眺めていた。

      テーマ : エッセイ
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      エッセイ(雑記)【13】壊れた時計と五十時間〜1





      (1732字)
       僕のことを語ってみたい。壊れかけた安っぽい時計は部屋の隅に打ち捨てられ、次第に積もる塵埃をも、気の端へわずか思わずに済ませられる。自身へ限ってみれば僕の語りは、その類のものではないはずだ。
       この物語はすでに産まれたときから始まっていたのかもしれない。それでも、このことに気がついて考え始めたのは最近になってだった。常に自分とともにあったこのあやふやな、掴みどころのない塊の形は、大体世間一般で考えられている通り、失いそうになってからあるいは失ってから多くが気付くとされているものに似ていた。そう、時計が壊れても時間は進む。僕以外の時間は。

       その頃高校を卒業したばかりで、学校の紹介した仕事には就かずにいた。卒業してから一年くらいはフリーターをしていようと思っていたのだった。何かの仕事に就けだとか、他にも日々の生活に対する態度については、多少の小言を言われることについては我慢しなくてはいけない。それは早いうちに解決されなければならない問題であると両親は思っていたようだったが、続いて二十歳前後の身の振り方がはっきり覚束ずにいる若者にありがちな質問としてなされるであろう、交友関係の問題については必要以上に詮索されなかった。
       実際には当面生活に困らない程度にアルバイトをやるつもりだったし、昔から質の悪い友人との付き合いは無かった。その点では本当に潔白だったといってもいい。親の心配のうち、高校を卒業してから何もせずにぶらぶらしているという点に関しては、確かにこちらに非があった。とりあえずアルバイトを探すとの口約束でその目に備えていたのだ。

       一つ忘れてはならないことがある。僕は小説家になろうと思っていたのだ。高校のときに読んだ様々な作家の小説に影響を受け、自分も文章を書いて生活をしていけたらどれほどいいだろうかと。
       子供の頃から本を読むことはそれなりに好きだったし、ある時に知って以降も文章を書いているだけで生活している人々にはいまいち実感が湧かなかったものの、興味程度は持っていた。小説家になろうとわりにはっきり思うようになったのは、高校三年生くらいだった。世間では小説が好きで小説家を目指す(目指した)人間に聞いてみれば、本当かどうかは別にして中学生くらいか、場合によってはもっと子供の頃になりたいと決意したなどという人もいるのだろう。
       当時の僕は、適当に頭に浮かんだ物語の核になりそうないくつかのイメージの断片を紙に書き付けたり、せいぜい数枚の画に過ぎないまでの物語の種から、いくつかのそれらしい場面や世界観のようなものを捻り出したりといった、いわば助走の兼ねた遊びと訓練をしていた。または頭の中で考えて色々といじりました挙句に、思っていたよりもつまらない場面しか浮かばないということになると、ノートを開く機会は次に送り頭の中の空想は混沌の暗がり中に消えていった。
       
       いまにして思えば、紙に書き出してない時点で相当の筆不精だったのか、確かにそれは事実なのだけど。僕が頭の片隅に浮かべた、ほとんど無意味でまとまりのない言葉のきりぎれが口からついて出るとき、それを一言も逃す暇[イトマ]すらなく、出来るならば言おうと思っていてつい失念したり、また場合によっては様々な理由から躊躇や遠慮したことまでも、控えめに補足して記してくれる人がいてくれればいいと本気で思っていた。昭和の初めの頃の小説家の話だったか、奥さんに口述筆記をして貰っている場面が書かれた私小説を読んだことがある。
       どちらにしろ情熱はそこそこにはあったとしても、心理的な情景として思いついた一つの場面だったり如何にも釣り合った心理を持ち合わせていそうな、それでいて興味深いと感じる人物像を文章にする技術は全然無かった。小説家になりたいと思った当時を思い出すと、いややはり、いまでも同様にまともな文章を紡ぎだす能力というものが欠如している。
       僕はどんな物事でもゆっくりやればいいさと考える質なので、徐々に文章の腕を磨いていけばいいだろうくらいに考えていた。地道にやっていれば小説家にでもいつかはなれるかもしれない。デビュー作で文壇に華々しく現れる自分の姿をしばし想像したりもした。



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      エッセイ1話まとめ(物語構成)【12】僕らはイカロス






      (※1)
      昔ギリシャのイカロスは
      蝋で固めた鳥の羽


      (全5327字/2012.10.22記す)
       小学校三年生までの僕には友達が一人もいなかった。微かにでも憶えている顔といったものすら一つもない。他の文章にも書いた通り、近所にそのような関係とおぼしき子供が一人住んでいたはずが、彼の姿は学校では一度も確認しなかった。だから正確に言えば、学校には一人も友達がいなかったということになる。

       いつ初めて声を掛けられたのかは全く記憶にない。どんなきっかけだったのか。

       自分がどこにいるのかはなんとなく分かっていても、そこで何をすればいいのかはいまいち理解出来なかった。まずはここにいなければいけないらしいとの決まり事を教えられる。そしてここにいるというだけで(いるのだから)、僕はどうやらふさわしい何かをしなくてはいけない状態にいつの間にかなっていた。
       休み時間にはただ周囲を見回しながら、何もすることがない自分に少しだけ気がつく。授業中には先生の言うことをなんとなく聞き、書けと言われた文字をノートに写したりしていた。
       何のためにそんなことをするのか分からず、周りの皆に合わせて筆記帳の見本に近づけるように文字の書かれた点線をなぞる。簡単な数の計算が繰り返し黒板の上で行われる。僕にも足す引く掛ける割る……の計算くらいはある程度理解出来たので、自分の目の前に藁半紙のプリントが配られると、言われるままに目の前のそれを解いていった。

       教室の後ろには一列にロッカーが並んでいたが、中ほど辺りで男子児童のR地に話しかけられていた。どんなことを話したか、霞むように手が届くかどうか曖昧な距離に浮かぶ件の場面以外は全く記憶にない。僕の中には他人に伝える意味や話す価値のあるものなど何もなかったと、いま現在思い返してみるとやはりそう感じる。

       休み時間になれば飽かずにも集まって話をし、笑い合って教室中を走り回っている同じクラスの中にいる彼らは何を見、何を求め、何を楽しんでいるのか検討もつかなかった。
       どうしてそんなことをするのか、何故よく知らない人間に話しかけないといけないのか。本当にしたくてしているのか。そういったことは少しだけ面倒だし苦痛だし、……右隅の細かな疵が窓から入ってくる昼前の光を幾重にも散らしている様子に一瞬目を惹かれながら、机の静まり返った左隅に向けて斜めに視線を落としやがて顔を伏せた。
       僕はこの文章を打っているいま、自分のことを馬鹿で無能な人間であると分かっているが、当時はそんな程度の事実すら気付かなかったのだろう。

       本棚においてある分厚いファイルをめくると、R地から受け取った封筒と半分に切られ畳まれた便箋が姿を現す。「また遊ぼう」短く一言だけ。小学校三年生の男子児童らしいあまり上手くない文字。封筒の表には僕の名前と差出人の苗字、切手は貼られていない。そして郵便番号の欄にはやはり僕の名前がある。
       見た感じからするとおそらく手渡しをされたか、もしくは郵便受けに彼は密かに投函したのかそんな姿も想像される。
       さらに小さな子供が行うごっこ遊びの延長線上とも言えるし、他人に手紙を出す等の社会的な行為に惹かれる部分があったのかもしれない。僕を『友だち』として公的に認める効力がそこにはあると、彼は周囲にも自分の意思を積極的に告げることになると期待したのか。
       家族の付属品としてではなく、多分、人生で初めて自分宛に来た手紙だ。両親宛の手紙の宛名に「皆様」として書かれていたとしても結局は、片隅のついでにといった具合でとりあえず小さな子供の様子を窺うための社交辞令とは違う。何故なら、その視線は実際にはこちらを向いてはいないから。





      〔2〕/〔3〕
       彼の家は坂の上にあるという。普段から外遊びなどしない僕は体力もあまりなかったので、随分と息を切らしながらこんな急な道を毎日登り降りするのは本当に大変だろうと喘いだ。
       考えも碌にまとまらないままにほとんどうつむきながら、時々空を仰いて大きく息を吐き出しつつ。彼は少し先を歩き指先で方向を指示し、顔を上げて確認をした僕は再び地面に視線を落とす。霞んだ遥か彼方にしか見えもしない行き先をこの目に捉え続けていることはどうにも耐えられず、下を向いて自分の足が間違い無く動いているだけを頼りにするしかないのだった。
       気がつけば、彼の家がすぐそこに見える曲がり角にまでたどり着いていた。ゆっくりと周囲を見渡しながら初めて目にした景色を確認する。R地は数メートル先で、まるで待ちわびたかの笑顔で僕を手招きしていた。
       大きな駐車場に面したアパートだった。戸数に対しては容量が多く、簡単な車止めがあるだけの鉄柵すら無い駐車場だったので、その辺り一面の地主が後から住居を一棟建てることにしたのかもしれない。順序はよく分からないが。

       内部は長方形をしていて、手前にダイニングキッチンがありさらに二部屋が続いている間取りだったと記憶している。玄関を開けると早速真ん中の部屋に案内された。
       しかし七割がた開け放たれた襖の先には寝そべって主人の帰りを待つ中型犬、シェットランドシープドッグの姿。僕は小学生当時犬を苦手としていて、中に入れずに躊躇していたこちらの素振りを見たR地が気を利かせ、一番奥の部屋に移動してくれたのだ。
       飼い主からしたらどうということもないのだろうが、その手馴れている一連の動作に感心したものだった。あんなに大きくて凶暴そうな(犬が怖い子供にはそう見えた)犬に言うことを利かせ声も一切上げさせず、全く抵抗する様子もなく従わせ隣室に移らせるなど信じられないと。
       TVを少しの間眺めていたがこちらが手持ち無沙汰にしていると感じたのか、しばらくしてから二人でゲームをやることになった。
       僕らの世代辺りからはありがちな光景として、子供同士で互いの家に呼び合った時にはファミコンを一緒にやる(当然ファミコンがあればだが、場合によってはゲーム機本体を友達の家にまで持って行く子もいた)、いわば新たな遊びのスタイルというものが作り出されて急速に広がり、結構な定番と言ってもいいくらいのものになったのではないかと思う。もちろん外遊びのほうが好きな子もいたし、のちに彼と二人で少し遠い地域にまで探検をしに行ったことも何回かあった。そういえば子供なりの無邪気なイタズラをして遊んだ、僕にしては初めてとなる経験をしたことも。

       幾時間かそれまでの全てを忘れゲームに熱中していたところへ、彼の母親が帰ってくると一度だけこちらに顔を見せ、すぐ忙しそうに食事の支度を始めた。R地は一見すると少しタレ気味の甘い目をした優男風だったが、較べると母親はいくらかはっきりした目鼻立ちをしていた。二、三言葉を交わしただけに過ぎなかったものの、口数は多くなく雰囲気は落ち着いていても、それはある種の大人の女性が持っている、子供を萎縮させる冷たさから現れたものではなかった。
       つまり、のちに会話をした時の表情からしてもそうで、時々パッと明るい表情をすることもある美しい人だったなと、いま輪郭は朧気であっても懐かしくある。
       帰りは自宅と彼の家の中間地点くらいまで送ってもらった。僕は見知らぬ遠くの街に出かけ少しだけ不思議な体験をした気分でいて、そしてまた呼ばれればいいなと帰り来た道を振り返ってみるさなかに微かな期待が胸に産まれていた。坂の上にいる彼の姿がいまは見えずとも、変わらず手を振っていてくれそうな気がした。





      (残2332字)〔3〕/〔3〕
       引越しをすると知ったのは小学校四年生のいつのことだったか。もう学校に来なくなった彼は、その日僕を自宅まで迎えに来て新築寸前の家に招いてくれた。つまり、個人的なお披露目を受ける運びとなったのだ。もうじき引き払う予定のアパートも結構遠いとは感じていたが、新居はそこから歩いてもさらに数十分の距離があり、学区が異なるために転校することになるのだという。引越し先までの道のりの長さは子供の身の丈としては最も単純に、実に冷徹なほどの現実の重みとしていやがうえにも知らしめさせた。

       綺麗な家だった。光がふんだんに取り込める天窓のついた、家族の集まる広いスペースがまずは目につく。
       少し現在の僕が補足する。機能的な造りの明るく使いやすそうなキッチン、伸縮式のはしごを登った先にある、子供が走り回れるくらいの高さと奥行きのある天井収納を始め、覗かせてもらった納戸も物を置くだけではもったいないくらいの充分過ぎる広さだ。周囲を囲む形の各部屋から中心のLDKへスムーズに、のみならず洗面所やバルコニーへは個室からも移動可能な複路になっていて、移動のパターンが時間帯や多少のプライバシー条件で変化した際にも、快適に利用が出来るようになっている。
       つまるところ住人の様々な利便性(個人的、家族集団的側面両者で)や生活動線を考えた上での設計なのだろう。
       僕は口を半分開け放ったまま、人の顔さえ反射しそうなほどに綺麗なつやのあるフローリングの床やら、ちょうど昼時の光が気持ちよく降り注ぐ天窓をただ感心と驚きに包まれ眺めていた。そして、いくらか照れくさそうでもあり誇らしげにも見える手に引っ張られ、最後に彼の城へ――子供部屋が用意されていることは言うまでも無い。
       膝をつき部屋の片隅で後片付けをしていた彼の母親が立ち上がり、ひと通り内覧を終えリビングへ戻った僕らを迎えるようエプロンを外した。同時に額の汗を袖口で軽く拭い、やや視線を合わせずにいた顔が向き直ると、幾分の疲れとそれ以上の充実感に満ちた柔らかい笑顔となり、ケーキがあるからと二人を促した。子供たちが椅子に腰を下ろすのを横目で確認してから、自分は少し冷めてしまった薬罐にもう一度火をかけた。中央は白い磁器製のタイルか何かだったか、二回り大きな分厚いガラスの天板が乗せられた、綺麗で頑丈そうで、高価そうな真新しいテーブル。

       ○○君また遊びに来てね。そうだ、夏休みになったら泊まりに来いよ。僕は声を掛けられる度に相手の顔を見直し、両親のことやら彼から話される以前遊んだ時の思い出などに丁寧に答えた。会話が一旦途切れ空白が開くと新しい学校へ転入するための準備について親子で話し始め、僕はなんとなくホッとするとケーキを包むビニールについたクリームをフォークで削ぎ何度か口に運んだが、ふとその姿が誰かに見られている気がして落ち着かなくなり、ビニールをさっさと畳んでしまった。すでに微温くなっていた最後一口の紅茶を、音を立てずに飲み込む。

       じゃあそろそろ時間も時間だから、ということになった。螺旋状の階段を彼に続いて降りていると、踊り場辺りで何故か突然自分の家のことが胸に浮かんできた。トタンの古くみすぼらしい外見をしているその姿は、綺麗な新居を目の当たりにしている僕に対して妙に悔しさや惨めさの込み上げる気分を与えた。自分の家の親もあんなに頑張って働いているのに、なんで……。少しだけ涙目になっていた。
       いま振り返ってみれば子供らしくもない、まるで嫉妬をする大人さながらの唐突なイメージの対比をもちだしてきたものだ。あの時の状況では優先順位の一見低そうな事柄に対して囚われているのが、可笑しく見えなくもない。ただ、とりとめのないようで案外気にすることであったりして、些細な物事について妙なほどに反応を示す心理の不安定さが子供にはあったりもする。
       
       いよいよ別れの時。またいつでも遊びに来てくれよ、R地は新居から出て最初に差し掛かる坂の頂上まで数十メートルを見送り、笑顔で二度三度と頷き大きく手を振ってくれた。それでも、もうきっと無理で、こんな遠くまで来れないと感じていた。坂の入り組んだ道は覚えられないし、それに違う学校に通う人間と遊ぶといった行為が本当は間違っていることなのかもしれないと、どうにもその怖さが拭えず――。
       僕には分からない。本当に、……本当に何も分からない。

      (※1)
      昔ギリシャのイカロスは
      蝋で固めた鳥の羽
      両手に持って飛び立った
      雲より高くまだ遠く
      勇気一つを友にして
       
       R地に教わった歌だった。この文章を書いている最中に思い出したことだが、件の曲の譜面はおそらく教科書に載っていた。確か、蝋の翼を持ったイカロスが悲壮な面持ちで空を見上げる、子供ながらに「何かを捨てなければ何かを得られない」との結末を想起させるイラストが隣に添えられていた。実際には音楽の授業で習って、曲(特に歌詞)を気に入った彼が薦め――そうじゃない、そんな経緯はどうでもいい。
       少年の胸の内にその歌が響き、何かを伝え、小さな心に小さな、いや彼にとっては大きな勇気と目覚めと、何より決意をもたらしたのだ。彼に教わりたての頃、旧居であるアパートから自宅への帰り道をゆっくり歩きながら、二番の内容をよく知らずにいた僕は一番の歌詞ばかりを飽くこともなく暗誦した。
       そして別れのこの時、再び口をついて出る。今度はメロディーに乗せて。
       遠い帰りの道のりに何度目の繰り返しとなっただろう。次第に涙で滲んでぼやけた視界の中、それでも長い坂をひたすらに下って行った。もう振り返っても何も見えない。二度目の訪問は多分……。さようなら『友だち』




      (※1)引用歌
       『勇気一つを友として』
      歌詞:片岡輝
      作曲:越部信義





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