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    タイ旅行、後日まとめ記【全7月18日】(了)





    ※脱落していた一話分(〔2〕/〔4〕)を加えました

    〔1〕/〔4〕
    (703字)
    【7月18日】記 25日目について
    25日目 朝から歩いて伊勢丹の紀伊国屋を探した。途中寺院に立ち寄り、たまたま声をかけてきたシンガポール人(彼曰く)と少し話をした。自分の着ている立派なスーツのことや奥さんのことなど。話をしているうちは人懐っこい笑顔でいい人なんだろうと感じていたが、話を一方的に聞かされているうちに段々と彼の身に着けているスーツが話題の中心になり始めた。君も自分のようにいいスーツを着ればもっと見栄えが良くなるとか、女の子にももてるとか大方そういった類の文句を喋っていた、と思う。
     嫌な予感が的中したみたいで今まで好意的に見えていた彼の笑顔が、営業用にわざとらしく誇張されたものだったことにようやく気がついた。だらだら話を引き伸ばされるとペースに乗せられてしまう可能性があると思い、撤退の瞬間を見極めることにする。
     携帯電話の呼び出し音がポケットの中で鳴る。私の携帯電話はとある準備をしなければ海外で使えないので、日本に置いてきていた。なので目の前の男のものに違いないだろう。誰かと電話をしているあいだ、次に話す内容でも頭の片隅で考えているのか、またはタイミングを計っていたのかは分からないが少し遠ざかるその隙を見計らい、彼に笑顔を見せアイム・ビジーと言い放ち後ずさった。

     結局、寺院で1Bを賽銭として投げ入れるだけして帰ることにした。帰り際には入って来たときとは反対の出口を選んだのだったが、運悪くスーツ営業の男に見つかってしまう。私と目が合って手を振ってくる彼に対して軽く一応の笑顔を返し、あまりに遠ざけるとこちらの不信感が強烈に伝わってしまい具合が良くないと、近くを自然に通り過ぎることにした。


    〔2〕/〔4〕
    (1893字)
     擦れ違うときにやたら愛想の良い彼が渡してきた小さな紙切れを見るに、つまりスーツを安く作る店の紹介状なのだ。受け取るときに何か言われたのは、多分その紙をトゥクトゥクの運転手に見せろといった内容の言葉だったのではないか。
     伊勢丹を探している途中だったので、寺院から少し離れた場所で客待ちをしているトゥクトゥクを適当に見つけて乗せてもらう。もちろんスーツの男からもらった紙は見せなかったが、その運転手は後になって分かったがグルだったのだろう。周囲の数人がマージンを受け、店まで客を運ぶ約束でも結んでいるのかもしれない。客であるこちらの言うことも碌に聞かずに勝手に車を走らせたのだ。不安になりローマ字で伊勢丹という単語だけを大きく書いた紙を運転手に見せるも、振り向いて一瞥した相手はよく分からない鈍い反応しか起こさなかった。
     トゥクトゥクの運転手はおかしなところに寄り車を止めてしまったので、やはりそうだったのかと思い腹を立てたが、同時に自分の迂闊さにもうんざりしないというわけにいかない。なんとも面倒臭そうに指差す運転手の視線の先にはちょっと洒落た感じのしたブティックがあった。車上から確認出来る店頭には男性用紳士服が小奇麗に陳列されているところにして、これがそうなのだろう。私は当然金を払わなかった。無視をして遠ざかると最初のうちは追いかけてきた運転手はやがて諦めたのか、自分の車へ帰りすがらに何か悪態をついているらしかったが……そんなことは知ったことではない。
     
     少し歩いていると、路肩に止めた空車のトゥクトゥクの中で弁当を食べている若い運転手の姿。試しにエラワンプームに連れて行って欲しいと頼んでみた。運転手は食事を途中で切り上げこちらに座席に乗ってくれと促すのだった。ふたを閉じた弁当箱を脇に置き、やがて軽いエンジン音をさせ静かに走り出す。
     しばらく中心市街地の整備された幹線道路を走っていた。街中は白を基調にした建物が多く、左右を見ても高層ビルや瀟洒[ショウシャ]なホテルの他にもブランド品を扱う店が立ち並び、整然とした町並みを形成していた。私は場違いな世界にいるような、少し居心地の悪い気持ちになっていることに気がつくのだった。
     旅の間に随分と慣れ親しんだカオサン通り周辺は、お世辞にも綺麗とはいえない小規模の各種商店がでこぼこに並び、各々が大きさや色合い匂いを勝手気ままに自己主張をし、それでいて確かに混沌を積み上げた秩序のような何かがある。一種のカオス的なコスモスとも表現出来る街並みがトゥクトゥクやバスの車上から次々に目に飛び込んでくるとき、少々の背徳感が伴ったなんとも言えない楽しさというか高揚を感じたものだ。
     カオサンの周辺は道路も特に混雑しており、マナーの悪いタクシーや自家用車が我先にと道路にひしめきあい、さらに渋滞をひどいものにさせていたのだった。タイの車の排ガス規制がどうなっているのかは分からないが、まるで二昔前の日本のディーゼルトラック同様に濃厚な煤塵[バイジン]をそこら中に撒き散らしている。対策として交通整理をしている警官は皆、顔の半分近くを覆うしっかりとしたマスクをしていたのだ。

     10分程度車上で揺られていると、視線の先に日本の駅前にあるタクシー乗り場のような小型のロータリーが現れた。ロータリーでは十数台のトゥクトゥクが思い々々に過ごしている。近くに運転手の見られない車も数台あり、大抵は車から身体を乗り出したり寄りかかったりしながら運転手同士で雑談をしているのだった。
     運転手は二列に並んでいる縦列駐車の最後尾に向け減速を始め、ときどき見知った顔の同業者に挨拶を交わしているようで、最後尾に着くとこちらを振り返ることもなくあっさりとキーをひねり、完全にエンジンが切られてしまうのだった。ここ数日は、声を掛けたり掛けられたりした人間に半ば当然のように騙されていたせいもあり、まあこんなものかもしれないと諦めることに、とはいえ、ツイていないときにはとことんまでツイていない。

     私は周囲のビルを見回し、やはりガイドブックに掲載されている商業ビルの外観はどこにも見受けられないのを確認する。先ほどまで雑談をしていた集団がこちらの様子をちらちらと伺っているであろうこと、それが手に取るように分かるのだ。ただし無知(カモ)な旅行者を眺めにやにやとしている感じでもなく、突然自分達の居場所(一種の休憩スペースなのだろう)にひとりきりで現れた外国人を少しばかり怪訝としている様子ではあった。という点では、場合によっては多少心強くというか、敵にも味方にもなり得る可能性はなくもないが。


    〔3〕/〔4〕
    (1782字)
     十数分も走らせたので支払いを拒否するのもさすがにまずいかと思い、無言で捨て銭を渡し足早に立ち去るあたりが一番無難だろうと、さすがに私もそう判断しないわけにもいかなかったのだ。ため息を吐きたい気分になりつつも。
     やはり悄然としていたか、あるいは少しばかり興奮気味に見えたのかもしれない。そんな異国人を興味半分で眺めている運転手達のかなり後ろから、肥った背の高い男がこちらに向かって、体を揺らし多少怒り肩を強調するかでポケットに両手を突っ込み、ゆっくりと歩いてくるのが見えた。
     少し面倒なことになるかもしれないと思い、今まで自分を運んでいた運転手を探しさっさと金を支払おうとした。ところが、彼は自分の車の近くにはいなかった。十数メートル離れたところで雑談をしている他の運転手達にでも訊こうかとしたとき、彼はひょっこり姿を見せた、……が。やっと見つけたかと思えば、直後にその姿は肥ったタイ人に隠れるように後ろに引っ込んでしまったのだ。いよいよまずいことになったと、如何ばかり身構えずにはいられない状況ではないか!?
     
     肥った男「よお、伊勢丹に行きたきゃ100B払いな」(基本的に数字や固有名詞、簡単な動詞は英語、時々タイ語が混ざる)
        私「高すぎる。そんなに払う必要はないだろ」(基本英語で、分からないところは感情表現が伝わることを期待しての日本語)
     肥った男「いやならここで降りて歩け」(〃)
        私「そんな金額は相場からすると高すぎる!!」(〃)
     肥った男「伊勢丹に行きたくないなら、とりあえずここまでの運賃を払え」(〃)
        私「いくらだ」(英語)
     肥った男「ここまでが100B、伊勢丹までさらに100Bだ」(〃)
        私「高すぎる! 目的地にも着いていないのに、ふざけるなよ」(ほとんど日本語)
     肥った男「早く払え」(英語)
     
     周囲の運転手達は、当初の私への興味を徐々に失っていたらしく談笑を交えながら少し遠くで話していたが、さすがに剣呑な雰囲気を感じたのか、再びこちらの様子に関心を持ち今度は二三人でまとまって近づいてくる気配だ。徐々ににじり寄ってくる彼らがどういうつもりなのかは分からず、こちらにしてみればなんとも気味の悪いものになっていた。話し合いの始まる十数分前に比べ、全体の雰囲気として良くないほうへ傾いていくのを感じ取らないわけにはいかなかったからだ。最悪のケースが起こりえるといった想像さえ、突飛な考えとまで言えないくらいの場面ではないか。

     肥った男「とにかく100B」(英語)
        私「いや、ふざけるな。そんなには払わん」(日本語)
     肥った男「あんたさ、長々と車に乗せてもらって金を払わないつもりなのか」   (基本的に数字や固有名詞、簡単な動詞は英語、時々タイ語が混ざる)
        私「30Bまでなら払う」(英語)
     肥った男「なに? 30B? それじゃ足りないだろ」(〃)
        私「ここは伊勢丹じゃない。約束が違う。大体こっちは道を知らないんだから、こんな道端で降ろされても困るんだ」(かなり精一杯の、一応英語)

     結局30Bを強引に手渡し、私は足早に彼らから遠ざかることにした。
     いざこざを終え憤然とした気分を抑えては、それでも半ば自棄になって当てずっぽうと勘を頼りに街中を歩いていると、朝から直射日光に当たりっぱなしだったせいか頭が痛くなり始めるのだった。
     地図を利用すれば徒歩でも何とかなると思われるだろうか? 確かにそれは、地域から地域へといったスケールの大きな移動に関しては問題は無いかもしれない。しかし、とある街のとある任意の通りを目的地にしようとすると、程度適当に方向を掴んで感覚的に動くやり方では難しい。ましてや今回は○○通りの○○ビルという一点を目指さなければいけないのだ。
     というわけで、旅のあいだ基本的によく利用していたガイドブックの地図のページは、役に立てそうもないのでもう数時間前から開かれていなかった。
     なにしろ日本のように、そこかしこに住所表示があるわけではない中での道探しだ。数少ないガイドを頼りにするのはいかにも心もとない。当てをつけての運任せや微細な地磁気を感知しての『地球の歩き方』など自分には出来そうもないのだ。自認している極度の方向音痴は、実際に地元近辺でさえたまには迷子になることからしても証明されていたのだった。何よりも、正直に言って整然と区画整理された街中は私の方向感覚を不確かなものにする。


    〔4〕/〔4〕
    (1907字)
     考えも碌に定まらずふらふらと20分近く歩いていたところで、路肩に停車しているトゥクトゥクを発見した。もつれ気味の脚で小走りに近寄り、早速運転手に声を掛ける。特に自分一人になってからというもの、色々な人間にいいように騙されているが、それでも気温がもっとも高くなる昼時に右も左も分からない異国の街をうろつく気力は、その時の身体にはほとんど残されていなかった。風の通り道が少なく湿度の高い街中では特に、体力は急激に消耗されたのだった。
     騙されるかもしれない、または向こうにそのつもりがなくても相手に目的地を伝えられないのではないか、先程のやり取りを思い出してみれば面倒に巻き込まれる不安も確かに頭の片隅にはあることはある。ただ、トゥクトゥクの後部座席に身を沈め身体を休めている想像は、段々と疲労の溜まっていく一方の状態では抗いがたい誘惑なのだ。
     脚を掛け乗り込もうとしたとき、ちょうど後部座席の真下あたりから水よりも粘度の高い液体が結構なペースで漏れ続け、地面に虹色の水溜りを作っているのが見えたがまあ気にしないことに。久しぶりに開いたガイドブックによれば、ワールド・トレード・センターという建物名のほうが一般的に知られている旨を確認した私は、早速相手に伝えた。どうやら行き先を理解してくれたようだった。100Bから80Bまでの料金の引き下げ交渉に成功する。

    追記〈4〉 2013・10・10 伊勢丹よりワールド・トレード・センターのほうが外国で一般的に有名なのは、当たり前だ。当時の私はそんなことも知らなかった。 (追記〈4〉了)

     車線数の多い幹線道路をそれなりの速度で走っているにも関わらず、一向に停車レーンに移動することもなく似た景色の中を走り続けていた。想像していた以上に目的地は遠いらしい。周囲の様子からしてすでにバンコクの中心部にいると予想していて、おそらくワールド・トレード・センターもその一角にあるだろうと踏んでいたのだった。さっきの肥った男は歩いて行けと言っていたはず。ところがトゥクトゥクに乗ってからもう30分が経っていたのだ。

     宿のベッドの上でこれを綴っている最中にふと考えたが、山手線の東京駅から新宿駅までを横断したらおおよそ何時間がかかるのか。五時間? 八時間? バンコクの市街地が一体どれほどの広さかはっきりとは分からないにせよ、相当の広がりを持った範囲のはずだ。やはり徒歩で行き当たりばったりの探し方をしていたのでは、半日歩いても見つからなかった可能性があったかもしれない。

     車はワールド・トレード・センターに着いた。壮麗な高層ビルが周囲でも一層と際立ち、右隣りでは巨大なショッピングセンターが口を開け客を待ち構えている、非常に立派な建物だった。名前からして外資系の会社や貿易会社などが入居しているのだろうか。そこからさらに伊勢丹を探すことになった。20分近くかかりなんとか案内板から目的の店を見つけ中に入る。店の中は非常に涼しく綺麗である。一度6階まで上り、再度エスカレーター近くに設置されている案内板を見て行き過ぎたことを知った私は、1階分降りた。ようやっと、苦心の末に紀伊国屋を発見したのだ!!
     店内の内装は日本とほとんど同じ作り。清掃が行き届いた涼しい店内で平積みの日本語の本を眺めているとなにやら、そこがタイであるということを忘れてしまうほどになじみ深い感覚なのだ。ぐるりと店内を一周してから適当に本を物色したが、結局棚から新書の『詭弁論理学』と『こち亀』を手に取ってレジに向かうことにした。

     帰りはバスに乗る。カオサン通りのマクドナルドに行き本を読んで時間を潰した。持参した文庫本の筑摩文庫『太宰治全集』十巻と、ガイドブック以外は全くと言っていいほど、ようするに別種類の日本語に触れていなかったので、なんとも新鮮というか妙な気分だった。
     適当に時間を潰すつもりだったのがすっかり遅くなってしまう。そろそろ今日のベッドについて考えなければならなくなり、と言っても今更新たな宿を探す労力を費やしたくなかったのだ。結局、先日と同じマルコポーロに泊ろうと思い、今度は三泊する。合計1050B。嗚呼堕落、相方がここにいたらなんと言われることか?
     一日歩く以外は特に何もしていなかったが、その割にというかゆえに歩き疲れたのだろう。ベッドへ横になって散々の苦労の末なんとなく手に入れた本のページをパラパラとめくっていると、自然と睡魔に襲われていった。この宿で後二度の夜を過ごせば、ついに私の旅も終わりである。(了)




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    タイ旅行、後日まとめ記【7月18日分】~23(了)修正版






    (1907字)
     考えも碌に定まらずふらふらと20分近く歩いていたところで、路肩に停車しているトゥクトゥクを発見した。もつれ気味の脚で小走りに近寄り、早速運転手に声を掛ける。特に自分一人になってからというもの、色々な人間にいいように騙されているが、それでも気温がもっとも高くなる昼時に右も左も分からない異国の街をうろつく気力は、その時の身体にはほとんど残されていなかった。風の通り道が少なく湿度の高い街中では特に、体力は急激に消耗されたのだった。
     騙されるかもしれない、または向こうにそのつもりがなくても相手に目的地を伝えられないのではないか、先程のやり取りを思い出してみれば面倒に巻き込まれる不安も確かに頭の片隅にはあることはある。ただ、トゥクトゥクの後部座席に身を沈め身体を休めている想像は、段々と疲労の溜まっていく一方の状態では抗いがたい誘惑なのだ。
     脚を掛け乗り込もうとしたとき、ちょうど後部座席の真下あたりから水よりも粘度の高い液体が結構なペースで漏れ続け、地面に虹色の水溜りを作っているのが見えたがまあ気にしないことに。久しぶりに開いたガイドブックによれば、ワールド・トレード・センターという建物名のほうが一般的に知られている旨を確認した私は、早速相手に伝えた。どうやら行き先を理解してくれたようだった。100Bから80Bまでの料金の引き下げ交渉に成功する。

    追記〈4〉 2013・10・10 伊勢丹よりワールド・トレード・センターのほうが外国で一般的に有名なのは、当たり前だ。当時の私はそんなことも知らなかった。 (追記〈4〉了)

     車線数の多い幹線道路をそれなりの速度で走っているにも関わらず、一向に停車レーンに移動することもなく似た景色の中を走り続けていた。想像していた以上に目的地は遠いらしい。周囲の様子からしてすでにバンコクの中心部にいると予想していて、おそらくワールド・トレード・センターもその一角にあるだろうと踏んでいたのだった。さっきの肥った男は歩いて行けと言っていたはず。ところがトゥクトゥクに乗ってからもう30分が経っていたのだ。

     宿のベッドの上でこれを綴っている最中にふと考えたが、山手線の東京駅から新宿駅までを横断したらおおよそ何時間がかかるのか。五時間? 八時間? バンコクの市街地が一体どれほどの広さかはっきりとは分からないにせよ、相当の広がりを持った範囲のはずだ。やはり徒歩で行き当たりばったりの探し方をしていたのでは、半日歩いても見つからなかった可能性があったかもしれない。

     車はワールド・トレード・センターに着いた。壮麗な高層ビルが周囲でも一層と際立ち、右隣りでは巨大なショッピングセンターが口を開け客を待ち構えている、非常に立派な建物だった。名前からして外資系の会社や貿易会社などが入居しているのだろうか。そこからさらに伊勢丹を探すことになった。20分近くかかりなんとか案内板から目的の店を見つけ中に入る。店の中は非常に涼しく綺麗である。一度6階まで上り、再度エスカレーター近くに設置されている案内板を見て行き過ぎたことを知った私は、1階分降りた。ようやっと、苦心の末に紀伊国屋を発見したのだ!!
     店内の内装は日本とほとんど同じ作り。清掃が行き届いた涼しい店内で平積みの日本語の本を眺めているとなにやら、そこがタイであるということを忘れてしまうほどになじみ深い感覚なのだ。ぐるりと店内を一周してから適当に本を物色したが、結局棚から新書の『詭弁論理学』と『こち亀』を手に取ってレジに向かうことにした。

     帰りはバスに乗る。カオサン通りのマクドナルドに行き本を読んで時間を潰した。持参した文庫本の筑摩文庫『太宰治全集』十巻と、ガイドブック以外は全くと言っていいほど、ようするに別種類の日本語に触れていなかったので、なんとも新鮮というか妙な気分だった。
     適当に時間を潰すつもりだったのがすっかり遅くなってしまう。そろそろ今日のベッドについて考えなければならなくなり、と言っても今更新たな宿を探す労力を費やしたくなかったのだ。結局、先日と同じマルコポーロに泊ろうと思い、今度は三泊する。合計1050B。嗚呼堕落、相方がここにいたらなんと言われることか?
     一日歩く以外は特に何もしていなかったが、その割にというかゆえに歩き疲れたのだろう。ベッドへ横になって散々の苦労の末なんとなく手に入れた本のページをパラパラとめくっていると、自然と睡魔に襲われていった。この宿で後二度の夜を過ごせば、ついに私の旅も終わりである。(了)

    追記〈5〉2016・1・21 最終日ファランポーン駅前で無事相方と合流し、帰国の途に着いた。(追記〈5〉了)




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    タイ旅行、後日まとめ記【7月18日分】~22






    (1782字)
     十数分も走らせたので支払いを拒否するのもさすがにまずいかと思い、無言で捨て銭を渡し足早に立ち去るあたりが一番無難だろうと、さすがに私もそう判断しないわけにもいかなかったのだ。ため息を吐きたい気分になりつつも。
     やはり悄然としていたか、あるいは少しばかり興奮気味に見えたのかもしれない。そんな異国人を興味半分で眺めている運転手達のかなり後ろから、肥った背の高い男がこちらに向かって、体を揺らし多少怒り肩を強調するかでポケットに両手を突っ込み、ゆっくりと歩いてくるのが見えた。
     少し面倒なことになるかもしれないと思い、今まで自分を運んでいた運転手を探しさっさと金を支払おうとした。ところが、彼は自分の車の近くにはいなかった。十数メートル離れたところで雑談をしている他の運転手達にでも訊こうかとしたとき、彼はひょっこり姿を見せた、……が。やっと見つけたかと思えば、直後にその姿は肥ったタイ人に隠れるように後ろに引っ込んでしまったのだ。いよいよまずいことになったと、如何ばかり身構えずにはいられない状況ではないか!?
     
     肥った男「よお、伊勢丹に行きたきゃ100B払いな」(基本的に数字や固有名詞、簡単な動詞は英語、時々タイ語が混ざる)
        私「高すぎる。そんなに払う必要はないだろ」(基本英語で、分からないところは感情表現が伝わることを期待しての日本語)
     肥った男「いやならここで降りて歩け」(〃)
        私「そんな金額は相場からすると高すぎる!!」(〃)
     肥った男「伊勢丹に行きたくないなら、とりあえずここまでの運賃を払え」(〃)
        私「いくらだ」(英語)
     肥った男「ここまでが100B、伊勢丹までさらに100Bだ」(〃)
        私「高すぎる! 目的地にも着いていないのに、ふざけるなよ」(ほとんど日本語)
     肥った男「早く払え」(英語)
     
     周囲の運転手達は、当初の私への興味を徐々に失っていたらしく談笑を交えながら少し遠くで話していたが、さすがに剣呑な雰囲気を感じたのか、再びこちらの様子に関心を持ち今度は二三人でまとまって近づいてくる気配だ。徐々ににじり寄ってくる彼らがどういうつもりなのかは分からず、こちらにしてみればなんとも気味の悪いものになっていた。話し合いの始まる十数分前に比べ、全体の雰囲気として良くないほうへ傾いていくのを感じ取らないわけにはいかなかったからだ。最悪のケースが起こりえるといった想像さえ、突飛な考えとまで言えないくらいの場面ではないか。

     肥った男「とにかく100B」(英語)
        私「いや、ふざけるな。そんなには払わん」(日本語)
     肥った男「あんたさ、長々と車に乗せてもらって金を払わないつもりなのか」   (基本的に数字や固有名詞、簡単な動詞は英語、時々タイ語が混ざる)
        私「30Bまでなら払う」(英語)
     肥った男「なに? 30B? それじゃ足りないだろ」(〃)
        私「ここは伊勢丹じゃない。約束が違う。大体こっちは道を知らないんだから、こんな道端で降ろされても困るんだ」(かなり精一杯の、一応英語)

     結局30Bを強引に手渡し、私は足早に彼らから遠ざかることにした。
     いざこざを終え憤然とした気分を抑えては、それでも半ば自棄になって当てずっぽうと勘を頼りに街中を歩いていると、朝から直射日光に当たりっぱなしだったせいか頭が痛くなり始めるのだった。
     地図を利用すれば徒歩でも何とかなると思われるだろうか? 確かにそれは、地域から地域へといったスケールの大きな移動に関しては問題は無いかもしれない。しかし、とある街のとある任意の通りを目的地にしようとすると、程度適当に方向を掴んで感覚的に動くやり方では難しい。ましてや今回は○○通りの○○ビルという一点を目指さなければいけないのだ。
     というわけで、旅のあいだ基本的によく利用していたガイドブックの地図のページは、役に立てそうもないのでもう数時間前から開かれていなかった。
     なにしろ日本のように、そこかしこに住所表示があるわけではない中での道探しだ。数少ないガイドを頼りにするのはいかにも心もとない。当てをつけての運任せや微細な地磁気を感知しての『地球の歩き方』など自分には出来そうもないのだ。自認している極度の方向音痴は、実際に地元近辺でさえたまには迷子になることからしても証明されていたのだった。何よりも、正直に言って整然と区画整理された街中は私の方向感覚を不確かなものにする。




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    タイ旅行、後日まとめ記【全7月11/15日分】






    〔1〕/〔4〕
    【7月11日】記 16~20日目について
    (1650字)
    16日目 トレッキング(定義はよく分かりませんが、ちょっときつめの行程などが含まれた泊りがけのハイキングみたいな感じでしょうか?)の予約をしました。二人で3200Bというのはタイの物価からするとかなり高いようでもあり、しかし今回の旅で事前に計画していた数少ない予定のひとつなのです。なにしろひたすら節約貧乏旅行をしてきたわけですから、私たちの意見は一致したもので少しくらい奮発しても罰は当たらないだろう云々。
     だいぶ粘ったところで値切りは200Bが限界だったでしょう。そもそも、ガイドや宿泊施設の利用費がどうしても掛ってくるので値切りは無理があるのではないかとも考えていましたら、彼は例によって値切りを敢行したのでした。確かに旅の最初の頃は、店の主人などを相手にしつこく交渉する彼の姿を恥ずかしく思うことが多かったのですが、最近ではそれにも馴れ今回はどれくらい値切るのかと、初めから交渉すらしなかったりすると少し物足りない気分にさえなったりして、一種の中毒症状があるのかもしれません。

     ともかく、トレッキングガイドを紹介してくれる宿を探すためにチェンマイの駅前をうろうろとしていた際、たまたまこの宿の看板を見つけたのです。運良く宿には日本語を話せるチーフスタッフ(主人?)がいたことも、そこを選んだ大きな理由の一つではありました。件の日本語の達者なスタッフもしくは主人かもしれませんが、その人は穏やかな笑顔をした中華系の可愛らしい女性だったのも、選考基準に加点されたことは確かです。
     ガイドブックによれば、さらにもう少し安いトレッキングプランを提示する宿もあるらしいのですね。というわけでその晩泊まる場所とは別になるか一緒になるかは分かりませんけれど、場合によりけりそこでの宿泊料が高ければ利用せず、代わりに直接出発地点に朝集合のトレッキング単体で請け負っている宿はないかと、当初駅から街に向かう路々で彼と相談してしていました。
     ただ駅前周辺はバンコクとは較べるまでもありませんが、前回今回に訪れたタイ・マレーシアのどの都市よりも田舎なのですね、はっきり言って。値段や内容等々、具合の良いのを提示してくれるところはどこだと悠長に街中を探し回っているうちに、下手をすると初めて降り立った土地で宿すら見つからずに日暮れを迎えてしまうのではと、私は恐れていたのです。

     そういえば宿で産まれて初めてドリアンを食べました。ドリアンがどのようなものであるかはTVなどで聞いてはいましたが、戦々恐々実際鼻に近づけると確かに何かが発酵したような強いニオイはしたものの、大袈裟に言われているくらいにひどくはありません。味は粘っこいほどに濃厚で、口に入れてしまうとニオイは気にならなくなりました。
     ちなみに宿で食べたドリアンは、日本のスーパーなどでよく目にする発泡スチロールパックにサランラップが被せてある切り身のタイプでした。部屋で一旦落ち着いてから、旅の途中どこか(忘れた)で購入したサンダルに履き替えナイトバザールへ出かけたのですが、ドリアンを買ったのはそこです。それ以外に土産品として、オレンジ色の開けづらいビニールに包まれた魚肉ソーセージのような見た目の、紡錘形に包装されたドリアン練り飴も一本購入しました。日本の一般家庭の冷蔵庫にほぼ常備されていると言っていい、アレに似た感じのです。
     後日談になりますが、バンコクで買ったインスタント・タイ・ラーメンはともかくとして、練り飴のほうは独特の香りがさらに強められていたせいか、家族には不評という残念な顛末でした。
     次の日朝早く目覚めると、枕もとのナイトテーブルの上に置かれていた食べかけのドリアンに数百匹の蟻が群がっているという、女性ならば悲鳴を上げるか卒倒しかねない現場を目にすることになります。そんなことも露知らず、夜の熱帯にべたついた肌を窓から通り抜ける風が撫でつけ、次第と穏やかに熱を冷まし、深い眠りへと誘われていく心地よさにうっとりとしていた私なのでありました。


    〔2〕/〔4〕
    【7月15日】記 21~24日目について
    (1783字)
    21日目 そろそろ帰国も近いのでリコンファームは早めに済ませようとスリウォン通りを調べ、バスを利用して最寄らしき地点まで移動することにした。最後は徒歩で探し、昼の1時を回った頃にようやく見つける。リコンファームには少々時間が掛かるがなんとか終了する。
     近くで見つけた「ねぎらーめん」という店に入り食事を摂ることにした。なかなか美味かったが、客は日本人ばかりで相方は週刊誌を読み続け、目の前のラーメンに進んで手を付けない。口に合わないのかと訊いてみると、すでに満腹だとのこと。旅の間小食だったので胃が小さくなったのだろうか。
     その夜は宿を散々探し回った。あらかじめ目星をつけていたチャイナタウンにある宿は歩いていける距離のはずだというに、どこにも見当たらず、トゥクトゥクの運転手に宿の名前と大まかな住所を教えて車で運んでもらう。
     運転手は何度も後ろを向いて道を尋ねてくるが、結局相手も場所が分からずにお手上げ状態。本当に分からないみたいで、土地勘があまりないと伝えたがっている必死な様子からこちらにも理解出来た。文句を言ってても仕方が無いのでファランポーン駅の近くにあるステーションホテルに運んでもらい、そこに一泊することになった。


    22日目 朝になって彼が分かれて行動しようと言いだす。私にとっても旅の間には何度か考えていたことなので、突然の申し出には一瞬言葉を探す時間を要するも反対する気にはならなかった。ただ、向こうのほうから言い出す形になったことについてはちょっと気になった。
     二日前の昼にも利用したファランポーン駅の二階オープンカフェ、以前にも落ち着いた雰囲気を好んでこの店で電車が来るのを待っていたことがある。そこのテーブルに一人座る。

     とりあえずはファランポーン駅から113番のバスに乗り、一時間半近く座席にずっと座っていた。適当なバス停で降りてバスの進行方向とは逆に歩く。
     途中、学生街っぽい雰囲気の通りにあるベンチで休んだり、軽い食事を取ったりもした。国際電話をかけられるテレホンカードは一度も使われずに財布の奥にしまいこんであったが、初めてそれを取り出し公衆電話から日本の自宅へ電話でも掛けてみることにした。一人になって心細かった部分も多少あり、同時に開放感からやろうやろうと思いながらやっていなかったことをこの際というのもあった。または結局やるべき何かが目の前に用意されていなかったため、なのかもしれない。自宅の電話は誰も出ず、父の携帯電話に掛けるとそういえば仕事中の時間だったのか、やはり繋がらない。ちぐはぐな気分だ。
     虫除けを初めて使った。効果は良い。持続時間は分からないが3~4時間はもつだろう。完全に何の目的も無く、ひたすら歩いた。途中セブンイレブンを見つける。セルフサービスのドリンクコーナーがあり、17BでLLサイズのカップにコーラを購入。コーラの飲み過ぎだと思うが腹を下してしまい、近くの大きなスポーツ用品専門店にお邪魔する。トイレはとても清潔だった。
     トイレから出た後、数時間前の行動を再び繰り返すよう、バスで運ばれてきた道を引き返すことにした。しばらく歩いたところで喉が渇いてきたのでビールとつまみを買った。道路の脇の石段で休憩をしようと座り飲み始めて数分後、雨が少し降ってくる。

     私が歩いている歩道の隣は都市近郊の幹線道路といった感じの、交通量の多い通りだった。片側三車線で頑丈そうなコンクリート製の中央分離帯は幅一メートル、高さ三十センチ程度のしっかりとしたものだ。排ガスにまみれた近く家屋の外壁に較べると真新しい分離帯は随分と白く、周囲には工事中を示すコーンが等間隔で置かれている。ある地点まで行くと道は二股に分かれていた。
     見通せる範囲ではどちらの道が正しいかいまいち分からなかったが、しばらくその場に立ち、何か手がかりを探すでもなしに周囲の様子を適当に眺め冷やかして突っ立っていると、二股の片方から先ほどに乗ってきたと同じ系統のバスがこちらに向かってきたのだった。数字を確認してバスと擦れ違うほうへ歩き出す。さらに進んでいくと何度か分かれ道に差し掛かり、その際はバスの系統などは確認しなかった。おそらくバンコクの中心街には近づいているはずなので、高層ビル群の方角を遠目に確認しつつひたすら目指すことにした。


    〔3〕/〔4〕
    (1684字)
     なかなか自分の見知った場所には着かない。途中「NASA」という建物を横目にした。郊外地に突如として現れた看板は周囲の住居や商店からはだいぶ浮いている異質な様子、一体なんの建物だろうか。少し気になったが、すでに日は暮れかけていたので足を止めずに歩き続ける。後でガイドブックを確認したが紛らわしくもディスコとのことだ。ネーミングセンスが微妙である。
     
     道の途中でコリント様式?の立派な建物の銀行を見つける。一旦休憩しようと階段に座る。しばらくすると婆さんと少年が寄ってきて金銭をせびって来るのだった。こちらの片言の英語が全く通じず、「I’m Poor」と何度も繰り返したがやはり無駄らしい。見るからに向こうのほうが現実的で恒久的な逼迫状態にあえいでいるようだったし、こちらは相方に乗せられて始めたこととはいえ、すき好んでの貧乏旅行だ。
     100Bを渡すと喜んで何度も礼を言われた。正直に言えば感謝され悪い気はしないという結構な内心でまずいたので、行為の直後から発生した自らを咎める内心こそが一番意味のない、正確には自分のズルさなのだと思う。
     金を受け取った婆さんは、私の目の前で意味不明のジェスチァーをするのだった。どうやら感謝の気持ちを伝えるものだろうかと最初は考えていたが、ところがいつまでもしつこく繰り返しているのでその表情や手元の動作を見ると、どうやらもう少し欲しいとする要求みたいだった。
     どうにも閉口し寸前の罪悪感やらを完全に失い、しかしいまさら文句を言う資格はないのかもと、なんだか付け込まれた側の弱気にもなりつつであった。旅ももう終わりだしこの国の通貨もあまり必要ないかもしれないなどと考え、あくまでも自身の決定であるとしたい最後の抵抗のため改めて少し悩んでみることにする。もちろん日本円に両替も出来るとはいっても、元々10万円分も持ってきていなかったしそれも使い切りそうだったので、帰るまでに全て吐き出すつもりでいたのは以前からまさに思っていたのだ。ただこの老女に金を渡すタイミングが、旅の所持金を使い切る皮切りになっていいのか、どうか。
     実際には迷うほど何かがあるのかはっきりしないまま、まあいいんだと納得する。言葉の通じない相手に目の前で懇願され待ち続けられる圧力に耐え切れず、深く考えることを止めにして二度目の100Bを渡す。ついでにやり取りを始めたあたりから思いついた目的を果たすため、いや今では唯一残された失地回復の交換条件として婆さんに道を尋ねることにした。少しだけ体力の回復した私は、階段から立ち上がりもう一歩きするつもりだった。照明が届いて文字が読める程度に明るい建物の下にまで婆さんを呼びよせ、ガイドブックの該当箇所に指をさすが……。

     やはり、婆さんは目の前の若者が指差している場所が分からないようだ。少しばかり残念な気持がないわけではなかったが、そもそも地図が読めるのかどうかも疑わしい老女なのだ。
     仕方なく歩き出し数十メートル先、ふと後ろからする声が気になり振り返ってみる。婆さんとモトサイ(有料バイクタクシー)の人間がなにやら話しているのが見えるのだった。しばらくその様子を伺っていると婆さんが私を手招きしてきた。近づいて行く最中にも何やらの手振り、30Bで地図の場所まで乗せてくれると教えてくれているのかと思い、少し迷ったのち財布から30Bを出そうとすると、婆さんは50B出せと言っているのか指を五本私の顔の前に広げた。釣りを出すことをこちらに伝えようとしている意図も理解出来た一方で、……ほとんどいやな予感しかしない。
     モトサイのオッサンの胴に手を回し乗っていると、出発して数分でバイクは減速し路肩に向かって行った。やけに早いと思ったらただのデパートだったにも関わらず、彼はそこに降りろと釣りも返さずにそのままどこかへと走って消えてしまったのだ。奴らグルだったのかあるいはこちらの発音でも悪かったのか、しかし確かに「ファランポーン」と旅のあいだ現地の人に何度も通じた発声でもってゆっくり言ったはずなのに。


    〔4〕/〔4〕
    (1260字)
     腹を立てながらも、仕方なく大きな道路を真っ直ぐ歩いていたところでトゥクトゥクを見つけてそれに乗る。行き先を告げ料金を決めずに猛スピードで走りだす。3~40分は走ってからトゥクトゥクは止まった。
     料金を交渉したら150Bと言ってきたので、高過ぎると80Bにまで値切ってみると運転手はそれじゃ無理だと最初驚いてみせた顔をして、続いて絶対に無理だと意思表示のために顔を大きく左右に振るのだった。100、110Bと少しずつ相手の様子を見ていたが、120Bとする向こうからの返答以降全く折れることなく、ただし相手は強気で交渉してくるというより、次第には懇願するような表情なのだ。
     段々悪いことをしている気分になる。質の悪いスレたバックパッカー気取りになってしまったようで、少し反省した。つまり、現地の人にとって生活の糧である各サービスへこちらから支払う対価であるバーツを、妥当な金額以上に値切れるだけ値切るしか考えない、自分にとってのまるでゲーム感覚に、薄ら寒い痩せ細った楽しみを見出すかのような行為に対し。
     確かにファランポーン駅の目の前、私は例のステーションホテルに2泊することにした。金に関するなんやかんやの日であった。


    23日目 ほとんど1日寝ていた。彼がいたらこの姿を見て発狂するか、蹴り殺されるかもしれない。いや、愛想をつかせてさっさと私の元から去っていくことだろう。午後八時頃に目が覚めた。九時になって食事のために下に降りる。日本語のメニューのある店でラーメンとシンハビールの大瓶を飲んだ。ほろ酔い加減でコンビニへ寄り、酒とつまみを買ってホテルに戻る。部屋で飲んで寝る。


    24日目 昼前に起きて水を一杯だけ飲んでからタバコを吸い、カバンの中身を取り出していちいち確認をしながら途中まで整理をする。残りはベッドの上に置いたままに、昨日まで書きつけた枕元の日記を手に取り軽く見直し、そばにある窓から外を見たりと特に何もせずにボーっとしていた。
     ふとナイトテーブルに視線をやると空のコップが一つ伏せられ、その隣りには昨晩自分が何かを書いたメモが一枚置かれていたのだった。メモを遠目に眺めてしばし、やがて内容を理解すると眠気は一瞬にして吹き飛ぶ。
     チェックアウトの時間が寸前に迫っていたのだ。そのことに唐突に気づかされ――ここの宿泊費をさらに追加で払う羽目にでもなれば帰国までの金がやばくなるかもしれない。早くしないと強制的に料金が発生しかねない、と考え出すと途端に頭が真っ白になりかかる自分なのだが、それを落ち着け、冷静にまず散らばっていた手荷物を纏め上げなければならなかった。こちらが時間が近づいてもカウンターに姿を表さないので、延長するのかと思ったのであろう受付にいよいよ内線電話で呼び出される。早口のたどたどしい英語で断るとすぐさま、受話器を置き急いで部屋を出た。
     宿を後にして色々歩き回った挙句に結局カオサン通りにトゥクトゥクで行き、マルコポーロというホテルに泊ることにする。その日は特に何も無い。一泊で250B、加えて300Bが鍵の保証金だとか。




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    タイ旅行、後日まとめ記【7月18日分】~21

    (1893字)
     擦れ違うときにやたら愛想の良い彼が渡してきた小さな紙切れを見るに、つまりスーツを安く作る店の紹介状なのだ。受け取るときに何か言われたのは、多分その紙をトゥクトゥクの運転手に見せろといった内容の言葉だったのではないか。
     伊勢丹を探している途中だったので、寺院から少し離れた場所で客待ちをしているトゥクトゥクを適当に見つけて乗せてもらう。もちろんスーツの男からもらった紙は見せなかったが、その運転手は後になって分かったがグルだったのだろう。周囲の数人がマージンを受け、店まで客を運ぶ約束でも結んでいるのかもしれない。客であるこちらの言うことも碌に聞かずに勝手に車を走らせたのだ。不安になりローマ字で伊勢丹という単語だけを大きく書いた紙を運転手に見せるも、振り向いて一瞥した相手はよく分からない鈍い反応しか起こさなかった。
     トゥクトゥクの運転手はおかしなところに寄り車を止めてしまったので、やはりそうだったのかと思い腹を立てたが、同時に自分の迂闊さにもうんざりしないというわけにいかない。なんとも面倒臭そうに指差す運転手の視線の先にはちょっと洒落た感じのしたブティックがあった。車上から確認出来る店頭には男性用紳士服が小奇麗に陳列されているところにして、これがそうなのだろう。私は当然金を払わなかった。無視をして遠ざかると最初のうちは追いかけてきた運転手はやがて諦めたのか、自分の車へ帰りすがらに何か悪態をついているらしかったが……そんなことは知ったことではない。
     
     少し歩いていると、路肩に止めた空車のトゥクトゥクの中で弁当を食べている若い運転手の姿。試しにエラワンプームに連れて行って欲しいと頼んでみた。運転手は食事を途中で切り上げこちらに座席に乗ってくれと促すのだった。ふたを閉じた弁当箱を脇に置き、やがて軽いエンジン音をさせ静かに走り出す。
     しばらく中心市街地の整備された幹線道路を走っていた。街中は白を基調にした建物が多く、左右を見ても高層ビルや瀟洒[ショウシャ]なホテルの他にもブランド品を扱う店が立ち並び、整然とした町並みを形成していた。私は場違いな世界にいるような、少し居心地の悪い気持ちになっていることに気がつくのだった。
     旅の間に随分と慣れ親しんだカオサン通り周辺は、お世辞にも綺麗とはいえない小規模の各種商店がでこぼこに並び、各々が大きさや色合い匂いを勝手気ままに自己主張をし、それでいて確かに混沌を積み上げた秩序のような何かがある。一種のカオス的なコスモスとも表現出来る街並みがトゥクトゥクやバスの車上から次々に目に飛び込んでくるとき、少々の背徳感が伴ったなんとも言えない楽しさというか高揚を感じたものだ。
     カオサンの周辺は道路も特に混雑しており、マナーの悪いタクシーや自家用車が我先にと道路にひしめきあい、さらに渋滞をひどいものにさせていたのだった。タイの車の排ガス規制がどうなっているのかは分からないが、まるで二昔前の日本のディーゼルトラック同様に濃厚な煤塵[バイジン]をそこら中に撒き散らしている。対策として交通整理をしている警官は皆、顔の半分近くを覆うしっかりとしたマスクをしていたのだ。

     10分程度車上で揺られていると、視線の先に日本の駅前にあるタクシー乗り場のような小型のロータリーが現れた。ロータリーでは十数台のトゥクトゥクが思い々々に過ごしている。近くに運転手の見られない車も数台あり、大抵は車から身体を乗り出したり寄りかかったりしながら運転手同士で雑談をしているのだった。
     運転手は二列に並んでいる縦列駐車の最後尾に向け減速を始め、ときどき見知った顔の同業者に挨拶を交わしているようで、最後尾に着くとこちらを振り返ることもなくあっさりとキーをひねり、完全にエンジンが切られてしまうのだった。ここ数日は、声を掛けたり掛けられたりした人間に半ば当然のように騙されていたせいもあり、まあこんなものかもしれないと諦めることに、とはいえ、ツイていないときにはとことんまでツイていない。

     私は周囲のビルを見回し、やはりガイドブックに掲載されている商業ビルの外観はどこにも見受けられないのを確認する。先ほどまで雑談をしていた集団がこちらの様子をちらちらと伺っているであろうこと、それが手に取るように分かるのだ。ただし無知(カモ)な旅行者を眺めにやにやとしている感じでもなく、突然自分達の居場所(一種の休憩スペースなのだろう)にひとりきりで現れた外国人を少しばかり怪訝としている様子ではあった。という点では、場合によっては多少心強くというか、敵にも味方にもなり得る可能性はなくもないが。

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