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    日記帳から2003-2004【5】月刊○○ケアの事後報告を兼ね〜2





    (1543字)
     仕事を始めてわずか数週間、果たしてこの事務所が本当に存続していけるのかと不安に覚えることが何度となくあった。個人事務所を立ち上げたばかりだから仕方が無いのは分かるが、半ば投げやりな行動を取らせた理由の一つでもあったことはあった。
     二回目の給料の支払い日が未定になっている、初回の給料が事前に話していた金額よりも若干少なかった等々。喉の奥に色々と引っかかっていた。自分はそれなりに頑張っているのに給料の金額も少なく支払い期日も不明瞭だし、こちら側が常に譲歩させられ、負担や義務を過分に背負わされているような気になっていたのだった。
     事務所開設のため渋谷のはずれに空き室を借り、まずは家財道具一式を運び入れる作業から始めなければならなかった。ガス台を設置し、テーブルを一卓に椅子を六脚。それと仕事用の机二組を窓に対して直角に並べる。最後に一人暮らし用としてはちょうどいいくらいの食器棚を部屋の角に置くことにした。
     事務所が本格的に開かれてからは、やっと本来の仕事にとりかかる新たな段階となるのだった、が。月刊誌本体の紙や装丁、デザインはては執筆陣に支払う金に至るまでを捻出しなければならず、実は上記したものや引越し費用を差し引いた上に、事務所を構えるまでの半年近くの準備期間に費やされた雑費用も加えると、計画の構想を始めた段階あたりからM先生がどこかからか掻き集めていた事業資金も底をつきかけていたのだ。
     ついには先生自らの口座から生活資金の一部をいくらか切り崩しもしなければならなくなっていたという。何度かは、私やH君に対しても資金のやりくりに困窮している事実を口にしていたのだ。

     Hさんは恐いと思う。あの絡みつく口調自体は感情次第では誰でも使うものだけど、彼が使うとなんだか真実味があり、凄みがある。先生に最初紹介されたときには見た目が恐いと(やくざ崩れとでも形容したらいいか、なんとも言えない威圧感があった。ただ、それはもちろんただの印象で、実際はかつて左翼活動家だったという話を後日、本人から聞くのだが)、半ば単純な印象を受けていたに過ぎない。
     しかし脅しともつかないような言葉をかけられた今では、やはり彼には鬱積させた感情をここぞとばかりに一気に爆発させる類の、人の肝を冷やさせる恐さがあると再確認された。やはりやくざや右翼に感覚的には決して遠くないと――そして、内ゲバなどでリンチ殺人などをした一部の左翼活動家たちがいたと後になって知り、結局同様の連中ではあると――思わせたのだった。
     実際に陽の下を歩けないような相手と付き合いがあっても違和感の無い人だとの印象自体は、ある意味では間違っていなかったのかもしれない。

     先生の知り合いということもあり、のちの彼自身の話からしても左翼活動家崩れなのだと分かるが、この時代に左翼活動家の生きていける場といえばかなり限られている。企業内部の名目だけの馴れ合い組合か、行政や公共性の高い企業に対する苦情や要請を代行する、もしくは労働問題を取り扱う市民団体、NPOくらいしかないのではないか。
     ただし現在では単純な理想主義、教条主義に生きる新しい時代へ適応できない活動家には発言、活動する場所はほとんど与えられない。企業内部組織以外は反体制(ゆったりと非体制だろうか)を謳ってはいるがある意味では体制側とがっぷり四つか……。

     話は少し前後したが、Hさんは現代のややスマートにそして実際的、小利口になった「左翼活動」には参加しなかった。多少の関わりを持ったのか、とにかくもそぐわなかったのだろう。学生運動盛んなりし時代は終わりを告げ、その後いつまで運動に関わっていたかは分からないにせよ、結局はかつての人脈なども利用して彼は職をいくつか転々としていたようだった。




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    日記帳から2003-2004【6】月刊○○ケアの事後報告を兼ね〜1 修正版








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    ※前回のエッセイ『壊れた時計と五十時間』の続きはそのうち投稿します

    私の文章は基本的にパソコンに保存されたものを手直ししての発表ですので、本来はそこまで時間はかからないはずなのですが、最近は駄目なのですね。本来書き下ろしを分割して投稿する、いわば書き下ろし連載が基本のつもりなのですわ。でも、筆が進まない……なんてのはちょっと違いますかね。ただとにかく、気が向かわないんです。そうです。まあ、チンケなしょうむない野郎のジメジメ救いよう無しの自虐風情な繰り言と聴こえたら、あるいは聴こえてこそ聴き逃してください

    さてとりあえずやります。今回のはちょっと長いです。2〜30回程度に分けます。ただの日記ですが、私にとっては意味のある文章群です。鬼のように推敲だけはしていました。少なくとも、これがその当時(三年前)の推敲の限度なのです。ま、今はもういくらか良いはずですけど



    (2011字)
    2003年10月01日(?)
     ああ、とにかく仕事が見つかったというのは本当に良かった。昼間に寝ていてもあまり気にならなくなった。名刺を人に渡すときや友人に話すとき、あの人に業界のことについて話したり色々相談するときなど、私の顔はやけに明るく(無闇矢鱈に)見えるだろう。もちろん一々人に指摘されるほどの表情をして話しているわけではないと思うが、にやついた自身の顔を意識せざるを得ない。
     ただ一つ言いたいのは、「仕方が無い」のだ。なにしろやっと仕事を見つけた安堵と、学生時代の縁がきっかけだったという――なにやら奇跡的な偶然が起こった――驚き、わずかなりと他人に認められた確かに喜びがあるのだ。
     望んでいた出版の業界に関わり、取材や書き物、編集といった全般的な作業に携われる(人が少ないから)ことと、営業を少しだけやった結果が悪くなかったという矜持によるものからも来る。それぐらいは大目に見て欲しい。何故なら今まで私は、〈本当にどうしようもない不具者〉だったから。
     眠いので明日続きを書きたい。北海道という居酒屋に行った話、帰りの金の話(うんざりだ)など。





    2003年10月13日
     事故で急死したN君の葬式に行った。初めはなんてことなかったが、焼香のあたりから急激に悲しくなってきて、その後トイレで随分泣いた。なんであんなに泣いたんだろう? 自分でも不思議だった。N君、俺はこっちの世界で頑張るつもりだったけど、今現在やっぱり自信が無い。本当に自分は弱い奴だと思うよ。俺には精神病の萌芽があるのかもしれない。なんだか色々と考えていると爆発しそうになる。

     Hさんから電話を受けた。午前十二時前、つまり夜中の電話。かなりきつい口調で酒も入っていたみたいだ。「なめているのか?」「辞めるなら辞めていい」との繰り返しだった。
     営業の結果について連絡をしなかった私が一方的に悪い。友人が死のうが『月刊○○ケア』には何の関係もない。仕事は仕事、私情を挟んだこちらが愚かだったんだ。受けた電話では式に出席したとは伝えていない、というか全く喋らせてもらえなかった。ただ、言い訳の出来るタイミングがあったとしても、そこまでを酌んでもらえると期待するのは甘えでもあるだろう。
     葬式が始まる時間の直前に遅れて到着すると、他の友人の姿は見えず斎場の受付では数人が順番待ちをしていた。ふと一息ついて場内の時計を見上げた際、Hさんに仕事の報告をしなければとも一瞬頭をよぎったのだ。そこで電話をかけることは避けるべきかと周囲を見回したが、適当な場所は見つからない。一旦受付の前を離れ、戻ってから再度並ぶくらいの時間が式の開始までにあるかは分からなかったし、仕事の都合で急に来れなくなった友人の分の香典をまとめて渡さなくてはならず、それへの用意に手間取っていたのだった。
     頭の片隅にしつこくもこびりついている、「やらなければならないらしき、いくつかの雑事」は、人の都合を考慮せずにいつでも間の悪いところで割り込みでかい顔をする。それへの対応を結局無視すれば大抵自分に不利益がかぶさってくるのだが、本来的にはやはり優先順位が低いはずの事柄でしかないのではないか。ほとんど意味がない白々しいばかりのお約束行動を求められているのでしかないと思え、次第にそう考えだすと仕事に関する形式的な事後報告が億劫になっていった。

     朝一で事務所に報告をすれば、今日の状況からの変化はほぼありえないので――新刊の注文は、基本的にこちらの用意した注文票を書店からFAXで送ってもらうことになっている。FAXは事務所の机の上でしっかりと寝ずの番をしているので、書店が営業を開始する時間より早めに事務所へ行って、注文があったかどうかを確認すればなにも問題が無いはずという風に。もちろん電話でも受け付けてはいるが――、営業の報告は明日で構わないかと思うようにもなっていたのだった。
     確かに無責任な行動だと非難されるかもしれずとも、まだ発刊までには間があり、それまでは連日仕事をこなし報告もしっかり行っていたのだ。毎回紙に出力されたリストに並んだ書店を地域ごとに訪問した数を伝え、次の日はどこどこに行くと、今回の式の前日にも仕事に関する事前確認を欠かしてはいなかった。
     営業はリストへと一列に記された書店を地域単位で廻っていくやり方だったので、密集している都市部などではまとめて数をこなせるし、程度一日の仕事はこちらの裁量に任されてもいる。例えば次の日に前日の穴埋めをするため早めに家を出て、残した分と合わせ隣り合った地域を回ればいい。もちろん、事前にHさんに友人の葬式がある旨を連絡しておけば問題はなかった。ただ、式に出席するまでは斎場に向かっている途中か終わってからでも、ようするにそのつもりはあった。
     何故終わってからでも電話を一本いれなかったのか。今まではちゃんとやっていたから一回くらいという上記した甘い理由もある。
     その場にいることが耐えられなくなった私は集まった元同級生より一足先に帰り、対向車線からのライトと時折の街灯に照らされる道をふらついた足取りで駅に向かった。電車の中では何も考えられず、自宅までの長い時間正面の窓をひたすら眺めていた。

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    日記帳から2003-2004【5】元女王~5(了)







    (3878字)
     世の中で本当に何が起きているかにほとんど関心がなく、政権与党・大企業の広報機関としてのマスメディアの報道にどっぷり浸かり、疑うことすらしない人々がいる。メディアから発せられる情報の読み取り力の低さへとりあえず注意喚起しつつ、彼らも前述したように、具体的にあるいは自分の生活へ直接関わってくる問題については、しっかりと知っておく必要はある。
     しかし、多少乱暴な物言いであることは覚悟しているが、それ以外の毒にこそなれ決して薬にはならない、つまり大衆を煽り昂ぶらせ俗物精神を養うだけの役割しかなく、またそれらが目的とされる類の記事(番組)など、敢えて目にする必要がない。
     俗物主義を自分たちの宿唖であるかのように公言している週刊誌は、世の中には不必要な情報は無く(その姿勢はある意味では評価出来るが……)、低俗・劣情を認め受け入れた上で世の中を論じるといったことが基本的なスタンスになっている。
    そんな彼らに対し私の言葉は空しく響くだけだろう。
     また、TVや新聞等マスメディアは自らが第四の権力として存在しなければならないとする厳然とした役割があるにも関わらず、権力への監視という仕事はしっかりと果たしているのだろうかと、疑いの目を向けざるを得ない。むしろ権力に取り込まれ、互いの既得権益を守り誘導することだけを目的とした報道協定がそこでは遺憾なく発揮されているのではないか。
     官庁に出入りを許された多くの馴れ合い記者クラブから、政府・与党に都合の良い情報のみが天下りされるのだ。あくまでも政府からメディアのフィルターを通しての報道であり、国民までの一方通行、上意下達[ジョウイカタツ(ジョウイカダツ)]のシステムである。それらはいってみればすでに検閲の行われた報道なのだ。

     メディア側からの積極的な操作の結果として、一億総「窃視」化社会が徐々に無批判・無警戒に人々に受け入れられてしまっている。現状受け入れ主義が自覚的かつ意志的である人々、または一歩先の見通しも利かない無知蒙昧[モウマイ]な盲目的大衆の場合、あるいはどちら側でもなく軽薄で敗北主義的な現状肯定論者、つまり三者のタイプに大方の国民が大別されるが、それらの人々は戦後教育やメディアのあり方を端的に表す写し鏡ともいえるだろう。

     私は危機感を持っている。ある人は情報に躍らされ周りを異常に気にし、またある人は世間の出来事に全く関心を持たず自らのことしか考えられないようになっていく。メディアに対して受動的に(つまり伝えられるだけの一方的な関わり方では、そういう症状は早々に出やすくなる)関わる時間が多ければ多いほど、人間としてのまともな感情システムが加速度を増して侵されていくのだ。
     前述した窃視的な感覚というものは、あらゆる選択に対して大勢の顔色を窺い倣うの態度を常とする消極的な無名者か、半自覚的な、場合によって生ぬるい自己卑下のポーズを以って慰みとする人らの感情なのである。
     前者後者どちらも、結局拠りどころの不確かな感覚に長時間浸され、外気を感覚出来ないたるんだ皮膚に、長い長い夢を今でも見させられ続けている。ふやけた頭を持った状態でメディアを通すことでしか世の中が見えない。それが前提となっているのだ。またはかような見方以外の世界は馴染み深いものでないし、自らに深く問いかけ、深く傷つけるかもしれない。だから与えられた安穏とした世界、ぬくもりの中で眠りたいのだ。何かに震えながらであったとしても。
     
     そのような国民を量産することにどんな意味があるというのか。死ねばもろともだとでも言いたいのかもしれない。あるいは、もう進むしかないのだろうか。私は何についても、……いや実際には無知と浅薄さからの勘違いが多いに含まれているくらいなら、むしろ私は何も考えないほうが良いのか。若者なら若者らしく、毎日女の子と話をしたりSEXの機会を窺って、時々空想物語を頭に浮かべているくらいが正しい生き方なのか? 私は孤立している!! この瞬間、特に強く感じられて仕方ないのだ。
     明日は明日の風が吹く……そんなところでいいのか? 昨日からあきらかに疲れている我がこの身、別になにも進歩はしていない

    追記〈3〉 2013/10/25 私がぬるい状況理解にあったことを気付かずにいたのか、ある意味では盲ていたのだろうか。数日前、自民党内で特定秘密保護法案が了承された。特定権者による三十年以上の恣意的な延長を避けるために内閣の承認が必要なそうだが。しかしそれは、果たしてオープン化を阻み続けるために古い闇から新しい闇への単なる橋渡しがされるとの宣言であり、覆いに囲われているであろう実際の手続の過程をどこまで知ることが出来るのか。
    「知る権利」や報道の自由に配慮する旨が明記される運びとなったのは、特に連立を組む党によるところがあったとも言われる、が。確かに条文へと記されるのは大前提として欠くべからざることであっても、問題としない、著しく不当なものでない適正な方法による取材活動とは何なのか。一体誰がそれを決め、問題がもしあった時に誰が判断するのか。そもそも記者がリークを求め官僚が応じなければ、大体が機密に近い情報を集めようがないのでは。
     特定秘密は絶対に秘匿で周辺下位指定までのものは許されるが、公務員側は利益の収賄があった場合はNG、記者側は結局クラブ発表や懇意にしている相手との、日常会話的な遣り取り内でポロッとこぼれた(つまり互いの示し合わせが明明白白とはいえ、偶然さが上手く装われた剣呑さのないリーク)情報であればなんとかOKということか、……いまいち分からない。

     解釈次第で濫用されている法律の一つとして、個人情報保護法がある。現在ではほとんどの企業で顧客管理や商品開発、事故処理等のために膨大な個人情報を抱え、それら利用するためにも適正な保護を企業の使命とする現実がある。でありながら一方、普段外側に向けてはどこも無難な似たり寄ったりの保身的な文言が書かれている程度でしかなく、どの組織も通り一遍な扱いをしているものでしかない。
     そして個人情報漏洩が起こった際には性懲りもなく毎度おなじみで、経営陣の面々が頭を下げ、マスコミを通してテンプレート謝罪がなされる。だけのわりに、一転して言わば自分たちにとって本当の有事になると早速あれらの文言やら規定やらを持ち出し、というよりも翻[ヒルガエ]り詭弁[キベン]的な拡大解釈を早速始めるのだ。
    『一方で問題を起こした社員や、内部の人間が絡むシステムの欠陥に対する特定や原因究明も、やはり個人の情報(企業が一般的に通常時使う意味合いの、利用するばかりが優先される顧客の個人情報ではなく、個人の情報!)に関わっている部分があるのは変わりないので企業として守らなければならなりません。外部に漏らすのは適当でないので内々でちゃんと処理をします』と。
     まず優先的に解決しなければならない事柄への追及なのであって、相当程度に生命身体への、しかも個人自身の重大なミスや意図的な不正行為によって被害が発生したのでない限りは、担当部署以上が責任をもって折衝[セッショウ]すればよいはずだ。当事者の身元を割ることが最大の目的ではない。ともかくの窓口(露骨に叩くだけの標的とはしない)となる責任の所在確認と、問題があったシステムや意思伝達過程を改善させるのが眼目であるという、かってまでの理屈が当然に通用しないのだ。
     個人情報保護の名の下にもっとも直接に関わる当人の存在を過剰に曖昧化させ、何も喋らせないよう口を塞いでしまえば、その姿勢はむしろ部署ぐるみかもしくは組織全体の隠蔽体質をすら疑わせる結果となるだけなのだ。
     元々機構が複雑に絡み合った鎖のように互いを、さらに幾重にも守られた中枢を有する巨大組織や、意思決定がどこでいつ行われているのか外側から分からない、カフカの『城』的迷宮である大企業・官庁・役所で起こされた問題の責任追及をよりしにくいものにさせたのである。
     いいように解釈され濫用された結果として、市民・消費者の個人情報は利用されるだけ利用され、ろくに保護もされず、あるいは売り渡される。社会への影響力を考えて常に活動し、日頃から規制当局や市民団体だけでなく、消費者となる多くの国民が自ら全体の利益のために監視しなければならない大企業、さらにより高い倫理観を求められる公共機関に、本来不正に対して入れなければならないメスを弾き返す頑丈な殻を与えてしまったのだ。

     さらには大抵大企業が起こした、そして隠蔽しようとする類の事案は消費者庁、各事故調――公取や金融庁が出張る時は前者と同様に改善を組織に求めつつも、刑事告発や追徴課税等の具体的懲罰を求めることがほぼ基本となる――が担当する場合が多く(二次調査としてであれ)、上記組織は犯人探しを積極的にするよりもシステム改善を求めることが基本の姿勢となる。そうなってくると本当は隠れ蓑にしようとした個人の情報保護の、より後ろにある経営者自身の責任や組織改善、賠償への金銭的な根拠をがっちり掴まれるのではないかと恐れさせる。芋づる式に奥の院であるそちらに入って来られないよう、現実には言わば社員を守る振りをしながら捨て駒になっても構わないつもりで盾にしているのだ。
     彼らはいつでもトカゲのしっぽを切るつもりでナタを隠し持っているし、組織のため(加えて自分たちに近しい、立場を持ち回りする幹部連たちのため)とのお題目を唱え平気で振り下ろすだろう。これらは個人情報保護による責任の曖昧化では組織を守り切れないと判断した時の、次にとられる選択肢だ。 追記〈3〉了




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    日記帳から2003-2004【5】元女王~4






    (1624字)
     やはり金銭の誘惑に勝てなかったのか。しかし今では中高生でも知っているように、一度裸を見せてしまえば上、つまりTVショウビジネスに片足を踏み入れたかどうか程度のタレント候補、あるいは他の世界から転向を目指す人は芸能界の少なくとも王道的場所には働けない。タレントであっても一定以上の地位にいなかった場合、戻れないといった暗黙のルールがある。
     どうしても必然性のあった映画上の表現以外で、若いうちに裸を見せた場合は芸能界内のヒエラルキーは一気に下がる。次に待っているのは、裸か性行為に近いものが露骨に端的な性的興奮を表現する手段として使われる、そんなシーンの映ったVシネマが活躍の場所になる。
     果たしてどんどん活動の場は狭まり、TV視聴が芸能の世界の人間を目にするほとんどの機会である、いわゆる一般的な人々の視界からそのタレントは消えてしまったということになるだろう。彼女は何になりたかったのか。

     前置きが長くなった。ヌードになった時点で少なくない金額はもらえるかもしれないせよ、競技に戻るなどは120%無理であるし、さすがに復帰(一旦辞めたとして組織に籍があるならば、か)を期待しているほど本人が世間知らず、脳天気だとは想像しづらい。一体これからどうしていくのだろうか? AVにでも出演することになる?
     協会とどの程度の争いになったのかは知らないが、その動向如何ではAVであってもメイン路線のメジャーレーベルから出演作を販売するのは、難しいのではないかと推測する。例えば「競技X」や「女王」という単語を使ったら協会が損害賠償を求めるか、今以上に剣呑な状態になってしまえば活動を自粛しなければならなくなるかもしれないし、せっかく裸になった目論見も潰れてしまうことになる。これからどうするのか、そもそも何がしたかったのか。

     今回のヌード問題からは離れるが、最後に少しまとめてみたい。私は、世の中にはあまり多くの人に広がり過ぎないほうがいい情報があると思っている。知らない人間の近くにまで行って耳を傾けさせる必要のないものだ。誰が受け取るか事前に分からず、不特定多数の目に晒される状態で世間に垂れ流す行為は、本来は非常に危険であるし無責任な姿勢でもある。垂れ流す側のメディアの人間は自らの責任といったものをどのように考えているのか。
    「権利」を保障するためといささかヒステリックに宣言したその実、大上段に構えられた特に写真週刊誌などが口にする希釈された「権利」は、人間が根強く持っている俗的な欲求を満たすことが根本の原動力ともなっているのだ。

     諸問題における、一般的に望まれるメディアの姿勢として、まず核心部に直接関する場所から情報開示を求め、あるいは内部告発を促し、外部からは必要項目の調査・追及を行い報告がなされるはずが、次第に拡大する興味本位の卑俗な目的に遣われた上で一方には悪者叩きが流行していく。
     週刊誌を愛読しつつも、段々と問題の焦点がずれ対象がはっきりとしなくなり、嫉妬や漫然とした世の中への不満感からすり替わった義憤へと駆られているスクラムがっちりの読者がいて、大衆に伝える側も主張するほどの根拠もないと本当は分かっていながら、一応に正当化の文言として「権利」をしばしば口にする。結局は正面からまともに扱うというよりも劇化、扇情化による部数増を求めての営業戦略でしかない。
     その意味では両者の共犯関係が人のプライバシーを侵し、スキャンダルを大袈裟に騒ぎ立て、またはありもしない犯人を作り出すことに血道をあげるのである。
     多少なりと当初興味を掻き立てる狙いであっても、国家や地域に関わる政治・経済の問題、または重大な外交行事や世間の耳目を集める凶悪な犯罪の類といったものは、市民としての権利、社会の秩序安寧のためにも、確かに「権利」をどこまでも担保された上で知るべきを知らなければならない(または受け手との関係性によっては、その責任が発生する)といえるだろう、が。




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    日記帳から2003-2004【5】元女王~3





     
    (1669字)
    「競技Xの女王」は本物なのか偽者なのか。これは女王の定義にも発展させることもやろうと思えば出来る。利害の絡みあう人間同士が納得する結末とはどのようなものか、いずれの結果であるにせよ一旦もつれ始めれば時間のかかりそうなところである。
     つまり前段で真偽はすぐに決着がつくと書いたが、それは言ってみれば所属している組織の影響を無視出来ない程度に受け、普通に考えればまずあり得ないが未だに従わざるを得ない立場にいる状態(コーチや事務方を目指すならば、完全に競技Xの業界から干されればその道も断たれる……しかしもう遅いはず)か、もしくは問題にならないくらい「女王」の地位から経験、成績が遠い場合を想定している。前者では、虚偽であるならば自らでいずれ認めるしかないし、後者は一顧だにされず切って捨てられるということだ。

     仮に現在彼女が現役選手を引退している場合、さらに選手名簿から除名されているならばなおのこと、組織に従わせる力は強く働かない。首を縦に振りたくなければ「あなたは女王ではない」という宣告を受け入れないことも難しくないから、長引くかもしれないのだ。
    「彼女は女王(いわゆる)、チャンピオンであったことは無く――」授業でY先生の読み上げた週刊誌に掲載された協会側の発言である。これらは書かれた内容と一字一句確かにそのままなのか、加えて私の聞き違いや日記を書くにあたっての記憶違いもあり得るのは確かに認めた上で、この短い文からだけでは現在どういう立場にいるのかはっきりとは分からないということだ。

    「あったことは無く――」文面情報から読みとるに、協会側が嘘をついているとも思えないので今まで一度もチャンピオン(協会の定義するチャンピオンが正確には分からないが)にならなかったのはまず確実ではあろう。次に日本語として普通に理解すれば、まず多分、おそらくは現役ではないと伝えているのだろうが、私が記憶しているワンフレーズの文章には引退したかどうかが記されていない。とはいえいくらでも含意を察することは可能だし、記事の一文を目にした日本語話者の多くは同様に考えるであろうが、しかし確定的な判断は出来ないから、ここでは仮定にいくつかのケースについて考えてみたのだ。

     いささか実も蓋もない言い方になるかもしれないが、結局問題の女性も、自分が「女王」でないことは知っていたのではないかと思えてならない。競技Xの世界に身を置き、相応の才能と長年の努力で国内では常に上位の成績は出せるようになっていたのかもしれないが、しかしスポーツ界の「女王」とは一般的に言って女性のチャンピオンである。しかも才能のある新人が競技を始めて即その世界の頂点に上り詰めたとしても、または辛勝やギリギリの判定の末に勝利を掴み取ったとして仮に一度きりの短い期間の頂点であった場合、通常どちらも「女王」とは言われないのではないか。
    「女王」とは一定期間頂点にいるか、あるいは一度落ちた後も、かなり近い位置を長年キープし続けた相手に対してのみ使われる尊称のはず。
     私が件のヌードになった女性の名前を知らなかったということは、酷な言い方だがやはり一般的に知られているレベルの選手ではないのだ。
     競技Xがどれだけ華美・壮麗であろうと、あくまでも得点を競う競技である。ヌードの女性の外見がどれほど美しかったとしても――加えておそらく国内10位くらいの成績か、オリンピック強化選手くらいの実力はあったのかもしれないが――、それで「女王」などと呼ぶ(写真週刊誌にそういった倫理観を求めるのは不可能だから、本来当人が「呼ばれる」ことを是認する感覚が問題なのだ)ことは、純粋に実力がありながらヌードの女性よりも性的ピンナップの視線では容姿の劣る、と判断された競技者に対する侮辱でもあるといえないか。当然、彼女を純然たる競技者として見た上で、その姿に価値や意味を認め応援していたファンに対しても、背信を犯した行動である。加えて敗残者の感覚、つまり嘘や騙りの類に堕してしまう惨めさを本人も考えなかったはずはないだろう。




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