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    エッセイ(物語構成)【12】僕らはイカロス〜1 訂正版






    (※1)
    昔ギリシャのイカロスは
    蝋で固めた鳥の羽


    (1475字/2012.10.22記す)
     小学校三年生までの僕には友達が一人もいなかった。微かにでも憶えている顔といったものすら一つもない。他の文章にも書いた通り、近所にそのような関係とおぼしき子供が一人住んでいたはずが、彼の姿は学校では一度も確認しなかった。だから正確に言えば、学校には一人も友達がいなかったということになる。

     いつ初めて声を掛けられたのかは全く記憶にない。どんなきっかけだったのか。

     自分がどこにいるのかはなんとなく分かっていても、そこで何をすればいいのかはいまいち理解出来なかった。まずはここにいなければいけないらしいとの決まり事を教えられる。そしてここにいるというだけで(いるのだから)、僕はどうやらふさわしい何かをしなくてはいけない状態にいつの間にかなっていた。
     休み時間にはただ周囲を見回しながら、何もすることがない自分に少しだけ気がつく。授業中には先生の言うことをなんとなく聞き、書けと言われた文字をノートに写したりしていた。
     何のためにそんなことをするのか分からず、周りの皆に合わせて筆記帳の見本に近づけるように文字の書かれた点線をなぞる。簡単な数の計算が繰り返し黒板の上で行われる。僕にも足す引く掛ける割る……の計算くらいはある程度理解出来たので、自分の目の前に藁半紙のプリントが配られると、言われるままに目の前のそれを解いていった。

     教室の後ろには一列にロッカーが並んでいたが、中ほど辺りで男子児童のR地に話しかけられていた。どんなことを話したか、霞むように手が届くかどうか曖昧な距離に浮かぶ件の場面以外は全く記憶にない。僕の中には他人に伝える意味や話す価値のあるものなど何もなかったと、いま現在思い返してみるとやはりそう感じる。

     休み時間になれば飽かずにも集まって話をし、笑い合って教室中を走り回っている同じクラスの中にいる彼らは何を見、何を求め、何を楽しんでいるのか検討もつかなかった。
     どうしてそんなことをするのか、何故よく知らない人間に話しかけないといけないのか。本当にしたくてしているのか。そういったことは少しだけ面倒だし苦痛だし、……右隅の細かな疵が窓から入ってくる昼前の光を幾重にも散らしている様子に一瞬目を惹かれながら、机の静まり返った左隅に向けて斜めに視線を落としやがて顔を伏せた。
     僕はこの文章を打っているいま、自分のことを馬鹿で無能な人間であると分かっているが、当時はそんな程度の事実すら気付かなかったのだろう。

     本棚においてある分厚いファイルをめくると、R地から受け取った封筒と半分に切られ畳まれた便箋が姿を現す。「また遊ぼう」短く一言だけ。小学校三年生の男子児童らしいあまり上手くない文字。封筒の表には僕の名前と差出人の苗字、切手は貼られていない。そして郵便番号の欄にはやはり僕の名前がある。
     見た感じからするとおそらく手渡しをされたか、もしくは郵便受けに彼は密かに投函したのかそんな姿も想像される。
     さらに小さな子供が行うごっこ遊びの延長線上とも言えるし、他人に手紙を出す等の社会的な行為に惹かれる部分があったのかもしれない。僕を『友だち』として公的に認める効力がそこにはあると、彼は周囲にも自分の意思を積極的に告げることになると期待したのか。
     家族の付属品としてではなく、多分、人生で初めて自分宛に来た手紙だ。両親宛の手紙の宛名に「皆様」として書かれていたとしても結局は、片隅のついでにといった具合でとりあえず小さな子供の様子を窺うための社交辞令とは違う。何故なら、その視線は実際にはこちらを向いてはいないから。




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    エッセイ(物語構成)【11】BONBON!〜4(了)





    (1430字)
     結局店を訪れる頻度はいくらか減ったにしろ、今までと同じような感覚で通った。店員の対応も変わりなく、不明瞭と多少でも疑らせる会計は一回もなかった。やはり勘違いだったと思いたいしそう信じている。
     ただ、経営が上手くいっていないのではないかとの予想は間違ってなかったらしく、数カ月後には暖簾が取り外され、いつもならば夜になると表の通りまでを照らす明かりは落とされていた。ちょっと気になってガラス戸の格子[コウシ]の隙間から薄暗い店内を覗いてみたところ、テーブルは撤去され閑散としていた。父に経営者のおばさんや板前の男性はどこに行ったのか聴くと、なんとなく答えは予想していたがやはり、分からないなと意外にそっけない一言。

     ここ最近では外で酒を飲む機会はほとんどなくなった。私の財布は常に緊縮財政を強いられているデフォルト寸前の状態でもあり、そもそも、一人で居酒屋に行くことなど面白くもない、というか気が乗らないのだ。
     世間の狭さ、世情[セジョウ]の面倒を身を以て知る大人の頃合いにでもなったら、ときに一人酒も結構じゃないかと言う人もいるかもしれない。まあ理解出来ないわけではないのだが、その場合は行きつけの店が必要なのだとどうしても思ってしまう。さすがにチェーン店に一人で行って、あの妙に明るく騒がしい雰囲気の中でしんみりやるのは無理がある。
     つまり、結局は行きつけが無くなったのだから仕方がない。行き当たりばったりで個人経営の飲み屋の暖簾をくぐっても自分の肌に合うかどうか、懐を痛めてまでして冒険をする気にもなれないのだ。実際には以前に何回か挑戦して、二度とその敷居を跨ぐことはないとの誓いを立てたほうが圧倒的だったという、連戦連敗続きのさめざめとした現実ばかりだった。

     結局部屋で飲む酒は安上がりで、無駄に飲み過ぎることも便器に向かって涙混じりに鼻水を垂らして嗚咽を挙げることもない。そして、飽きもせず紡がれる代わり映えのしない昔語りにスルメを噛みながら適当に頷いていたはずが、時々はこれからどう生きて行くつもりかなどと言葉尻[コトバジリ]は落ち着いた調子でありながら、寸前までの軽々しい酔いはどこへやらと、素面か完全に据[スワ]わっているが故のものか、判断し難い視線は目の前のボンクラが如き私に真っ直ぐ注がれ――そんなじわりとした一撃を唐突に喰らわされることもない。
     やんぬるかな、口元へ持っていったジョッキが迷いを現すかに一旦動きを止める。数秒後には答えの代わりに何やら唸ってみせながら、アルコールで口の端を汚して曖昧に笑ってみせては、少しばかりの自己嫌悪と根拠のない決意。

     しっくりした居心地の場所を失い、現在思い返してみればあの時期から彼らとの関係は知らず知らず薄まっていった。それこそ私にあっては人生のいちいちの場面のつまらない要請と、逃れがたい惰性を重ねる年々[トシドシ]のうちに気づかぬほどに紛れ、あるいは溶けて。

     人生では何もかも失われる。死ねば全てが失われる。いや、冷凍保存のような生きた軌跡がどこかに残るのだろうか。他人のことは分からないが、やはり、私はそんなものに当てはまる価値は持ち合わせていない、としか思わない。
     ――まずは、だけどまず一杯、弱さと醜さを忘れ、過ぎ去った日々と日々の囚われを頭から一時でも追い遣るためにも、あぁ、だからさ、そのために、……いやとりあえず酒が呑みたいんだ。そう、あと美味いツマミが二品、あの一皿でもあったら。




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    エッセイ(物語構成)【11】BONBON!~4





    (2297字)
     私はトイレに立ち上がった途端に後ろへ向かってふらついてしまい、両手を中空に漂わせ何か掴む物はないかと足掻くも、どうやら無駄だったらしい。奥の半個室を仕切っている壁とそれを支えている柱に左肩をしたたかに打ち付けた。
     なにか尖った部分が深く肩に食い込んだ有様で、一瞬痛みのあまりに素っ頓狂[スットンキョウ]な声を挙げそうになり、それを堪[コラ]えの顔を上げてからカウンターのほうに向き直ると、体当りした音がかなり大きなものだったことに周囲の視線で気がつかされてしまうという、酔漢[スイカン]のとんだ恥晒しっぷり。さらに顔を赤くいくらか青くもしつつ、うつむき右手を顔の前で衝立[ツイタテ]にして他の客に見られないようにしながらトイレの前へ向かった。

     真っ直ぐにしておくことが難しく、どうにも身体が揺れてしまい数秒ごとに左右と壁に手をつかないといけない。床を汚してしまいながらもなんとか用を足すと、肩やら腕やらをあちこちにぶつけるのも厭[イト]わず、二人のもとにとりあえず戻ることにする。テーブル席の前ではいつの間にか目が醒めたらしいK尾は、いつからか朦朧[モウロウ]としているR立を肩に抱えて待っていた。
     あのさ、「もう、あれ、あれだ……あの、一旦出て、出てからどうしようかさ、考え、よ」私は舌が回らなくなっていることに気がつき、それでも目の前のへべれけよかはマシだなどわずかな頼りない最後の自尊心に凭れ掛かり、二人を何とかして外にだして酔いを覚まさせなければ、ぅうん? っあぁ、そう、しようかとおもって、ぁあそだよな、おれも、おぉそろそろかなって、そそそ、ろそろでたほうが、いい、い……かな。
     K尾とはなんとか意思の疎通を図れるようだったが、まともに言葉が浮かんでこない状態で思考は途切れ々々で訥々とし、その合間にはふっと目を閉じて身体を頼りなくふらつかせた。

     目の前の酔っぱらいの意識がまだ保たれているうちに店を出なければいけないと、少しばかり責任感を奮い立たせては、無理矢理に素面状態へ近づけなければならんと自らを騙し々々導く。今にも肩に掛けた腕がずり落ちて後ろにでも倒れ込みそうなR立を、こんな状態の彼では到底支え切れるはずがないのだ。……もうじき奴も、酔いの暗黒面に呑み込まれてしまうだろう。
    「あの、すいま、せ……ぁああの、すいませ、会計、おあいそを」
     カウンターに向かって声を絞り出すと、振り向いた小柄な板前は少しだけ怪訝[ケゲン]な顔をしてみせたような気がして、すぐに普段の力ない笑顔に戻ると『今日はいっぱい呑んだね』と言った「らしい」。こんな状態の彼らから回収出来るのかと不安になってしまう貧乏性分であっても、それにしたってレジ前でもたついているのは恥ずかしいのでまとめて払うことにした。「大丈夫? ちょっと呑み過ぎかもね」背中に受けたその言葉が誰の口から発せられたものか、憶えていない。

     数日後例のガタイの良い友人も含め四人で集まり、あの日のことについて話した。失敗しただの俺は体調が悪かったし酒が悪かったなんて言い出すのもいながらも、その日いなかった彼を除き各々、いくぶんの反省をしているようだった。私も含めて。
     話は反省会だけで終わらず、ふざけ半分の笑顔を口元へ忘れず含めつつも、いつのまにか内容は剣呑なものに傾いていった。
     K尾R立どちらが言い出したか忘れたが、『今日はいっぱい呑んだね』と台詞をおじさんの喋り方で真似したあと、絶対に会計が間違っていると文句をのたまった。私はかなりの貧乏性ゆえか、メニューを注文するたびにある程度概算を出していたので、加えて新しく購入したボトル二本分を含めると大体提示された金額で合っていたはずなのだが。
     その主張をする根拠としては、最近店の経営が芳しくないから、だとか。徐々に減っていく収入を少しでも補填[ホテン]するためという無茶苦茶な理由、有体に言えばボッタクったのだと友人は不信の目を向けているのだ。そういえば奥のテーブルにはあの時間帯に一度も客は来なかったことは確かで、カウンター席も埋まってはいなかった。しかし、いくら我々がひどく酔っているように見えたとしても、上手く金を誤魔化せるかどうかは分からないし、バレたときのことを考えればそんな真似は出来ないだろう。

     ふと「あの店の人達、ホントにそんなことするかな」の言葉をぼそりと、しかし何かの確信に近いものを抱いているかのように口にした。
     当日そこにいなかった新しい友人である彼は、周囲から重ねられるたび段々と激しさを増していくかに装う声へしばらくは黙って耳を傾けていた。まだまだ皆の輪の中にまでしっかり馴染み切れていないと感じている者としての、遠慮がちの軽い同意を示していると見えなくもない。その姿であったことはあった。
     しかしどうしても支払いをした私自身に不確かな記憶しかないため、こちらの弁護よりの気分を心許[モト]なくさせつつあったのを後押ししたし、残り二人の口を多少重くさせるだけの効果はあったのだった。

     二、三年前から、決して古い顔ではなくとも私たちは一週間に一二回くらいは通っていて、一見さんではないのだ。仮に上手く誤魔化せたとして客が何も言って来なかったとしても、会計のときにでもおかしな感じを与えてしまえば、それが実際にどうだったかは別に二度と店を利用しなくなるのでは。常連が来なくなることの減収のほうが、中、いや短期的に見ても言うまでもなく大きいはずだ。ボッタクリが成功したとしてもたかだか数千円を余分にレジ(もしくはフトコロ)に入れるだけ、次にまた利用すれば一万円近くはそこに落とすのだから。




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    エッセイ(物語構成)【11】BONBON!~2(タイトル訂正)






    ※タイトルとカテゴリが一部間違えていたため訂正しました。失礼しました


    (1917字)
     大学生だったN上やI岡とは主に駅近くのチェーン店に行くことが多かった。数カ月ぶりにあった彼らはすっかり大学生のノリを習得していて、しかもどちらかというと新入生を乗せていくための雰囲気作りのやり口や、ちょっとした場の仕切り方まで心得ていたのだ。
     他にもよく参加した友人としてK尾がいる。彼は若いうちから仕事をしていたせいもあり、職場の人間とよく飲み行った(居酒屋以外にキャバクラ、スナックなども結構利用したことがあるとか)という話や、自分がどれくらい大量に飲めるかをさも自慢げに語った。挙句の果てにはひどい泥酔になって道端に寝っ転がって朝を迎えただとか、非常に強烈な酒を飲んで店の床に椅子ごと倒れたなど、周りにとっては甚[ハナハ]だ迷惑だが、本人にとっての武勇伝となっている語りを飽きもせず、それこそ耳にタコが出来るほどに……。
     全員が中学の同級生だったので、昔話に花が咲くところはまあいつものこととして、加えて皆が同じ草野球チームのメンバーであり、同時に私が立ち上げた麻雀サークルの会員でもあった。

     後に述べるような個人経営の居酒屋でばかりとも限らないが、大学生の彼らが参加しない飲みの場合は、ツマミを二品くらいずつ頼んでちびりちびりとやるのが常だった。色々と景気のいい彼らが一緒にいるとまずはテーブルが埋まるくらいに注文してしまい、乾杯のときには全員に二杯ずつの酒が行き渡ることとなる。
     K尾は歳の割にかなりの収入があるので構わないだろうが、週数日しか無いバイトのこちらは常に貧窮に喘いでいたのだ。少しばかり注文する品数を抑えてくれないかなどと思いつつも、そのときのノリや勢い、行き過ぎない限りはとりあえず良好であるはずの状態に水を差すわけにもいかない。結局、幾度か口を開きかけそうになる自らを抑えるところがあろうとも、流れに身を委ねる形で従うことになるのだ。
     彼らは卒業と同時に結構な企業に就職し、毎日遅くまで働いているらしく今では連絡も取りづらく、ただ大学二三年生の時点ですでに色々と忙しいようだったので会う機会は三ヶ月に一回くらいしかなかった。というわけで、こちらも細かいことは気にするべきではないかという具合に、ままよと多少吹っ切れるしかない。
     続いてカラオケを朝まで、店を出る頃には完全に空は明るくなり皆の目の周りは落ち窪[クボ]み、喉が枯れてまともに声を出せないほどに、しかし楽しかった。自分にもあった、若かりし日の不器用で汗臭くもあるがなりふり構わない姿。鈍く時々は周囲に遠慮するよう、それでもいくらか強く輝いていた私、いや、俺たち。

     自宅近くには父親行きつけの飲み屋があった。他にも二件の喫茶店と交互にではあったが、ほぼ毎日通っていたという。大人になるとそんな場所が増えるのだろうかと羨ましくもあったし、やはり自分の知らない世界を親は知っているのだなと、いつもの姿に感心を新たにしつつも少しばかりの寂しさを覚えたものだった。
     子供の頃に、五十手前くらいの少しまぶたの厚ぼったいおばさんがやっている、自宅から歩いて三分くらいの居酒屋に連れて行ってもらい、ラーメンを食べさせてもらったことは憶えている。小さめの丼で出された、特に変わったところのない醤油味のラーメンだった。
     大人になってからは、多くは友人のK尾やR立と一緒に行った。その店では眞露[ジンロ]などをボトルキープして、ウーロンサワーか青リンゴサワーばかりを飲んでいた。他のアルコール類と言えば日本酒かビールしかなかったので、較べればただ単に一番安上がりだったからとあくまでもケチな理由で。店にとっても馴染みの客の息子ということでそれなりに歓迎してくれ、気心の知れた応対をいつもながらにしてくれた。
     経営者らしいおばさんは主に酒を作り、小じんまりした調理場の中では小柄な男性がいつも鍋や包丁を振るっていた。短髪に白髪を生やした、いつも眠そうな目をしている頬のこけたおじさん、いやもうすぐお爺さんと呼ばれてもおかしくないくらいの外見に見えなくもない。彼らは夫婦なのだろうと勝手に思い込んでいたのだったが、さらにまた別のいつかの日、父から聞いた話では確か違うはずだとのことだった。
     他にもたまに三十過ぎくらいの若い夫婦が手伝いに来ていて、そちらの体格のいい若旦那はおばさんの息子だという。どこか身体の悪そうな板前の男性は雇われの身だとか、あの年齢でああいった立場だと大変だろうななどと、他人事とはいえ、小さな冴えない居酒屋で甲斐甲斐しく働いている無口な姿にそこはかとない中年過ぎ男性の悲哀を感じながら、時々はR立と結局はなにも知らないなりに勝手な想像をし、彼のあれこれについて話をしていたことがあった。




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    テーマ : エッセイ
    ジャンル : 小説・文学

    エッセイ(物語構成)【11】BONBON!~1






    (1817字)
     行きつけの店――なんとも甘美な響きである。八百屋の主人と天気についての話から始まり、最近の景気云々といった頑是[ガンゼ]ない流れ、隣のお茶屋ではいつも暇そうにしている若旦那と趣味の渓流釣りについてひと談義、綺麗な白髪紳士のマスターがいる喫茶店ではほどよい距離を保っての穏やかな笑みの混じった視線が交わされる。
     別に、昔ながらの商店街ばかりにしかそういったことがないわけではない。時々夕方過ぎにふらりと立ち寄る馴染みのゲーム屋などでも同様だ。年代の近い店長は似たようなゲーム遍歴があり、最近発売されたタイトルについての彼なりのレビューなどを聞いてみるのもなかなかに興味深い。栄枯盛衰[エイコセイスイ]を繰り返す多種多様なゲームのハードが今後どうなっていくのかなど、仕入れや販売された数など直に接している人間の意見はそれなりに参考にもなる。
     帰り道では古びた駅ビルの一隅、ひっそり奥まった場所で営業をしている薄汚れた外観のラーメン屋の暖簾をくぐれば、こちらの顔を見るなり味噌ラーメンでいいんでしょ? その一言がなんとも小っ恥ずかしくもあり、と同時に心地良いものでもある。

     二十歳を過ぎた頃には大手[オオデ]を振って外で酒が飲めるということで、随分様々な店を見て廻った。とは言っても、どれも個人経営の小じんまりした居酒屋か、どの街でも同じような外観をしたチェーン店のどちらかだった。スナックやらキャバクラだったりは料金も高く、あくまでも想像だがおそらくつまみがまずいのだろう。また近くに女性がいては、時間を掛け落ち着いて酒を飲みながら友人同士で話をするのには適していない。
     そもそも私は水商売をしている女性全般が苦手で、男に対してしなを作ってみせる積極的な態度を見せたかと思えば、艱難辛苦[カンナンシンク]を乗り越えてきた怒涛[ドトウ]の如きと言い巻いている人生を背景に、突然年下の男に対して悟った風な口調で処世術やら、これからの身の振り方についてそろそろ真剣に考えたほうがいいなどを語られると、なんとも辟易[ヘキエキ]とさせられるのだった。
    『あんたのためなんだから』、などと来るともう聴いていられない。言いたい気持ちはまあ分かるのだが。こういった傾向は当然ある程度年齢を重ねた女性に多いが、若い子の中にも酒が入ると説教節というか、一種の絡み酒なったりするのもいるにはいる。
     なぜそれらの店に行ったことがないのに分かるのかと言えば、元水商売だったという人と一緒に仕事をした期間が長くあったからだ。別にこちらがどうこう評価しはしないが本人は凋落したと思っているのか、どうにも過去を話したがらない人で少しばかり謎めいた雰囲気を感じさせつつも、突然にあの頃を懐かしんで聞いてもいないのに様々なエピソードを口にしだすこともままあるのだった。
     そんなときの彼女たちの表情はまさに七色変化さながらであり、何やら興味深くもあるし少しばかり怖くもある。
     いわゆる一般的にイメージされているようなキャバクラだったらそんなことはなく、楽しく何も考えずに馬鹿騒ぎ出来るのではないかと思われるかもしれない。しかし正直に言って、私は若い女の子の軽薄(良く言えば軽やか、さらに良く言えば天真爛漫)なノリには全くついていけないし、無理に付き合いたくもない。件[クダン]の場面などを友人から聞いたり、TVなどで目にすることがあっても、一切何も惹かれるものがないのだ。

     チェーン店居酒屋と言えば誰でもがいくつかの似通[ニカヨ]った意匠の看板をまずは浮かべる。そして全国的にかどうか分からないが、各人が利用した限りではグループごとにほとんど共通するメニュー、また人によっては鬱陶しいとすら感じるマニュアル化した過剰な接客スタイルが想像されるだろう。
     確かに、最大公約数的戦略を無難にこなすことに終始しているといった批判は一方で合ってはいても、しかし店々によって当然店員は異なるし、場所が違えば客層も異なってくる。客の感じが違うのは話される内容にも現れ、地域性や周辺にある会社(または学校)から訪れる彼らなのだから、それによっての変化だ。
     店同士の異なる点としてまず、間取りなど一見どうでもいいような部分も、意外と人の心理に与える快不快、あるいは好悪の影響は無視出来るものでもない。なんというか雰囲気それ自体はやはり経年のうちに独特に作り上げられていき、微妙な差であったとしても二つと同じものはない。




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