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    タイ旅行、後日まとめ記【全7月18日】(了)





    ※脱落していた一話分(〔2〕/〔4〕)を加えました

    〔1〕/〔4〕
    (703字)
    【7月18日】記 25日目について
    25日目 朝から歩いて伊勢丹の紀伊国屋を探した。途中寺院に立ち寄り、たまたま声をかけてきたシンガポール人(彼曰く)と少し話をした。自分の着ている立派なスーツのことや奥さんのことなど。話をしているうちは人懐っこい笑顔でいい人なんだろうと感じていたが、話を一方的に聞かされているうちに段々と彼の身に着けているスーツが話題の中心になり始めた。君も自分のようにいいスーツを着ればもっと見栄えが良くなるとか、女の子にももてるとか大方そういった類の文句を喋っていた、と思う。
     嫌な予感が的中したみたいで今まで好意的に見えていた彼の笑顔が、営業用にわざとらしく誇張されたものだったことにようやく気がついた。だらだら話を引き伸ばされるとペースに乗せられてしまう可能性があると思い、撤退の瞬間を見極めることにする。
     携帯電話の呼び出し音がポケットの中で鳴る。私の携帯電話はとある準備をしなければ海外で使えないので、日本に置いてきていた。なので目の前の男のものに違いないだろう。誰かと電話をしているあいだ、次に話す内容でも頭の片隅で考えているのか、またはタイミングを計っていたのかは分からないが少し遠ざかるその隙を見計らい、彼に笑顔を見せアイム・ビジーと言い放ち後ずさった。

     結局、寺院で1Bを賽銭として投げ入れるだけして帰ることにした。帰り際には入って来たときとは反対の出口を選んだのだったが、運悪くスーツ営業の男に見つかってしまう。私と目が合って手を振ってくる彼に対して軽く一応の笑顔を返し、あまりに遠ざけるとこちらの不信感が強烈に伝わってしまい具合が良くないと、近くを自然に通り過ぎることにした。


    〔2〕/〔4〕
    (1893字)
     擦れ違うときにやたら愛想の良い彼が渡してきた小さな紙切れを見るに、つまりスーツを安く作る店の紹介状なのだ。受け取るときに何か言われたのは、多分その紙をトゥクトゥクの運転手に見せろといった内容の言葉だったのではないか。
     伊勢丹を探している途中だったので、寺院から少し離れた場所で客待ちをしているトゥクトゥクを適当に見つけて乗せてもらう。もちろんスーツの男からもらった紙は見せなかったが、その運転手は後になって分かったがグルだったのだろう。周囲の数人がマージンを受け、店まで客を運ぶ約束でも結んでいるのかもしれない。客であるこちらの言うことも碌に聞かずに勝手に車を走らせたのだ。不安になりローマ字で伊勢丹という単語だけを大きく書いた紙を運転手に見せるも、振り向いて一瞥した相手はよく分からない鈍い反応しか起こさなかった。
     トゥクトゥクの運転手はおかしなところに寄り車を止めてしまったので、やはりそうだったのかと思い腹を立てたが、同時に自分の迂闊さにもうんざりしないというわけにいかない。なんとも面倒臭そうに指差す運転手の視線の先にはちょっと洒落た感じのしたブティックがあった。車上から確認出来る店頭には男性用紳士服が小奇麗に陳列されているところにして、これがそうなのだろう。私は当然金を払わなかった。無視をして遠ざかると最初のうちは追いかけてきた運転手はやがて諦めたのか、自分の車へ帰りすがらに何か悪態をついているらしかったが……そんなことは知ったことではない。
     
     少し歩いていると、路肩に止めた空車のトゥクトゥクの中で弁当を食べている若い運転手の姿。試しにエラワンプームに連れて行って欲しいと頼んでみた。運転手は食事を途中で切り上げこちらに座席に乗ってくれと促すのだった。ふたを閉じた弁当箱を脇に置き、やがて軽いエンジン音をさせ静かに走り出す。
     しばらく中心市街地の整備された幹線道路を走っていた。街中は白を基調にした建物が多く、左右を見ても高層ビルや瀟洒[ショウシャ]なホテルの他にもブランド品を扱う店が立ち並び、整然とした町並みを形成していた。私は場違いな世界にいるような、少し居心地の悪い気持ちになっていることに気がつくのだった。
     旅の間に随分と慣れ親しんだカオサン通り周辺は、お世辞にも綺麗とはいえない小規模の各種商店がでこぼこに並び、各々が大きさや色合い匂いを勝手気ままに自己主張をし、それでいて確かに混沌を積み上げた秩序のような何かがある。一種のカオス的なコスモスとも表現出来る街並みがトゥクトゥクやバスの車上から次々に目に飛び込んでくるとき、少々の背徳感が伴ったなんとも言えない楽しさというか高揚を感じたものだ。
     カオサンの周辺は道路も特に混雑しており、マナーの悪いタクシーや自家用車が我先にと道路にひしめきあい、さらに渋滞をひどいものにさせていたのだった。タイの車の排ガス規制がどうなっているのかは分からないが、まるで二昔前の日本のディーゼルトラック同様に濃厚な煤塵[バイジン]をそこら中に撒き散らしている。対策として交通整理をしている警官は皆、顔の半分近くを覆うしっかりとしたマスクをしていたのだ。

     10分程度車上で揺られていると、視線の先に日本の駅前にあるタクシー乗り場のような小型のロータリーが現れた。ロータリーでは十数台のトゥクトゥクが思い々々に過ごしている。近くに運転手の見られない車も数台あり、大抵は車から身体を乗り出したり寄りかかったりしながら運転手同士で雑談をしているのだった。
     運転手は二列に並んでいる縦列駐車の最後尾に向け減速を始め、ときどき見知った顔の同業者に挨拶を交わしているようで、最後尾に着くとこちらを振り返ることもなくあっさりとキーをひねり、完全にエンジンが切られてしまうのだった。ここ数日は、声を掛けたり掛けられたりした人間に半ば当然のように騙されていたせいもあり、まあこんなものかもしれないと諦めることに、とはいえ、ツイていないときにはとことんまでツイていない。

     私は周囲のビルを見回し、やはりガイドブックに掲載されている商業ビルの外観はどこにも見受けられないのを確認する。先ほどまで雑談をしていた集団がこちらの様子をちらちらと伺っているであろうこと、それが手に取るように分かるのだ。ただし無知(カモ)な旅行者を眺めにやにやとしている感じでもなく、突然自分達の居場所(一種の休憩スペースなのだろう)にひとりきりで現れた外国人を少しばかり怪訝としている様子ではあった。という点では、場合によっては多少心強くというか、敵にも味方にもなり得る可能性はなくもないが。


    〔3〕/〔4〕
    (1782字)
     十数分も走らせたので支払いを拒否するのもさすがにまずいかと思い、無言で捨て銭を渡し足早に立ち去るあたりが一番無難だろうと、さすがに私もそう判断しないわけにもいかなかったのだ。ため息を吐きたい気分になりつつも。
     やはり悄然としていたか、あるいは少しばかり興奮気味に見えたのかもしれない。そんな異国人を興味半分で眺めている運転手達のかなり後ろから、肥った背の高い男がこちらに向かって、体を揺らし多少怒り肩を強調するかでポケットに両手を突っ込み、ゆっくりと歩いてくるのが見えた。
     少し面倒なことになるかもしれないと思い、今まで自分を運んでいた運転手を探しさっさと金を支払おうとした。ところが、彼は自分の車の近くにはいなかった。十数メートル離れたところで雑談をしている他の運転手達にでも訊こうかとしたとき、彼はひょっこり姿を見せた、……が。やっと見つけたかと思えば、直後にその姿は肥ったタイ人に隠れるように後ろに引っ込んでしまったのだ。いよいよまずいことになったと、如何ばかり身構えずにはいられない状況ではないか!?
     
     肥った男「よお、伊勢丹に行きたきゃ100B払いな」(基本的に数字や固有名詞、簡単な動詞は英語、時々タイ語が混ざる)
        私「高すぎる。そんなに払う必要はないだろ」(基本英語で、分からないところは感情表現が伝わることを期待しての日本語)
     肥った男「いやならここで降りて歩け」(〃)
        私「そんな金額は相場からすると高すぎる!!」(〃)
     肥った男「伊勢丹に行きたくないなら、とりあえずここまでの運賃を払え」(〃)
        私「いくらだ」(英語)
     肥った男「ここまでが100B、伊勢丹までさらに100Bだ」(〃)
        私「高すぎる! 目的地にも着いていないのに、ふざけるなよ」(ほとんど日本語)
     肥った男「早く払え」(英語)
     
     周囲の運転手達は、当初の私への興味を徐々に失っていたらしく談笑を交えながら少し遠くで話していたが、さすがに剣呑な雰囲気を感じたのか、再びこちらの様子に関心を持ち今度は二三人でまとまって近づいてくる気配だ。徐々ににじり寄ってくる彼らがどういうつもりなのかは分からず、こちらにしてみればなんとも気味の悪いものになっていた。話し合いの始まる十数分前に比べ、全体の雰囲気として良くないほうへ傾いていくのを感じ取らないわけにはいかなかったからだ。最悪のケースが起こりえるといった想像さえ、突飛な考えとまで言えないくらいの場面ではないか。

     肥った男「とにかく100B」(英語)
        私「いや、ふざけるな。そんなには払わん」(日本語)
     肥った男「あんたさ、長々と車に乗せてもらって金を払わないつもりなのか」   (基本的に数字や固有名詞、簡単な動詞は英語、時々タイ語が混ざる)
        私「30Bまでなら払う」(英語)
     肥った男「なに? 30B? それじゃ足りないだろ」(〃)
        私「ここは伊勢丹じゃない。約束が違う。大体こっちは道を知らないんだから、こんな道端で降ろされても困るんだ」(かなり精一杯の、一応英語)

     結局30Bを強引に手渡し、私は足早に彼らから遠ざかることにした。
     いざこざを終え憤然とした気分を抑えては、それでも半ば自棄になって当てずっぽうと勘を頼りに街中を歩いていると、朝から直射日光に当たりっぱなしだったせいか頭が痛くなり始めるのだった。
     地図を利用すれば徒歩でも何とかなると思われるだろうか? 確かにそれは、地域から地域へといったスケールの大きな移動に関しては問題は無いかもしれない。しかし、とある街のとある任意の通りを目的地にしようとすると、程度適当に方向を掴んで感覚的に動くやり方では難しい。ましてや今回は○○通りの○○ビルという一点を目指さなければいけないのだ。
     というわけで、旅のあいだ基本的によく利用していたガイドブックの地図のページは、役に立てそうもないのでもう数時間前から開かれていなかった。
     なにしろ日本のように、そこかしこに住所表示があるわけではない中での道探しだ。数少ないガイドを頼りにするのはいかにも心もとない。当てをつけての運任せや微細な地磁気を感知しての『地球の歩き方』など自分には出来そうもないのだ。自認している極度の方向音痴は、実際に地元近辺でさえたまには迷子になることからしても証明されていたのだった。何よりも、正直に言って整然と区画整理された街中は私の方向感覚を不確かなものにする。


    〔4〕/〔4〕
    (1907字)
     考えも碌に定まらずふらふらと20分近く歩いていたところで、路肩に停車しているトゥクトゥクを発見した。もつれ気味の脚で小走りに近寄り、早速運転手に声を掛ける。特に自分一人になってからというもの、色々な人間にいいように騙されているが、それでも気温がもっとも高くなる昼時に右も左も分からない異国の街をうろつく気力は、その時の身体にはほとんど残されていなかった。風の通り道が少なく湿度の高い街中では特に、体力は急激に消耗されたのだった。
     騙されるかもしれない、または向こうにそのつもりがなくても相手に目的地を伝えられないのではないか、先程のやり取りを思い出してみれば面倒に巻き込まれる不安も確かに頭の片隅にはあることはある。ただ、トゥクトゥクの後部座席に身を沈め身体を休めている想像は、段々と疲労の溜まっていく一方の状態では抗いがたい誘惑なのだ。
     脚を掛け乗り込もうとしたとき、ちょうど後部座席の真下あたりから水よりも粘度の高い液体が結構なペースで漏れ続け、地面に虹色の水溜りを作っているのが見えたがまあ気にしないことに。久しぶりに開いたガイドブックによれば、ワールド・トレード・センターという建物名のほうが一般的に知られている旨を確認した私は、早速相手に伝えた。どうやら行き先を理解してくれたようだった。100Bから80Bまでの料金の引き下げ交渉に成功する。

    追記〈4〉 2013・10・10 伊勢丹よりワールド・トレード・センターのほうが外国で一般的に有名なのは、当たり前だ。当時の私はそんなことも知らなかった。 (追記〈4〉了)

     車線数の多い幹線道路をそれなりの速度で走っているにも関わらず、一向に停車レーンに移動することもなく似た景色の中を走り続けていた。想像していた以上に目的地は遠いらしい。周囲の様子からしてすでにバンコクの中心部にいると予想していて、おそらくワールド・トレード・センターもその一角にあるだろうと踏んでいたのだった。さっきの肥った男は歩いて行けと言っていたはず。ところがトゥクトゥクに乗ってからもう30分が経っていたのだ。

     宿のベッドの上でこれを綴っている最中にふと考えたが、山手線の東京駅から新宿駅までを横断したらおおよそ何時間がかかるのか。五時間? 八時間? バンコクの市街地が一体どれほどの広さかはっきりとは分からないにせよ、相当の広がりを持った範囲のはずだ。やはり徒歩で行き当たりばったりの探し方をしていたのでは、半日歩いても見つからなかった可能性があったかもしれない。

     車はワールド・トレード・センターに着いた。壮麗な高層ビルが周囲でも一層と際立ち、右隣りでは巨大なショッピングセンターが口を開け客を待ち構えている、非常に立派な建物だった。名前からして外資系の会社や貿易会社などが入居しているのだろうか。そこからさらに伊勢丹を探すことになった。20分近くかかりなんとか案内板から目的の店を見つけ中に入る。店の中は非常に涼しく綺麗である。一度6階まで上り、再度エスカレーター近くに設置されている案内板を見て行き過ぎたことを知った私は、1階分降りた。ようやっと、苦心の末に紀伊国屋を発見したのだ!!
     店内の内装は日本とほとんど同じ作り。清掃が行き届いた涼しい店内で平積みの日本語の本を眺めているとなにやら、そこがタイであるということを忘れてしまうほどになじみ深い感覚なのだ。ぐるりと店内を一周してから適当に本を物色したが、結局棚から新書の『詭弁論理学』と『こち亀』を手に取ってレジに向かうことにした。

     帰りはバスに乗る。カオサン通りのマクドナルドに行き本を読んで時間を潰した。持参した文庫本の筑摩文庫『太宰治全集』十巻と、ガイドブック以外は全くと言っていいほど、ようするに別種類の日本語に触れていなかったので、なんとも新鮮というか妙な気分だった。
     適当に時間を潰すつもりだったのがすっかり遅くなってしまう。そろそろ今日のベッドについて考えなければならなくなり、と言っても今更新たな宿を探す労力を費やしたくなかったのだ。結局、先日と同じマルコポーロに泊ろうと思い、今度は三泊する。合計1050B。嗚呼堕落、相方がここにいたらなんと言われることか?
     一日歩く以外は特に何もしていなかったが、その割にというかゆえに歩き疲れたのだろう。ベッドへ横になって散々の苦労の末なんとなく手に入れた本のページをパラパラとめくっていると、自然と睡魔に襲われていった。この宿で後二度の夜を過ごせば、ついに私の旅も終わりである。(了)




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    テーマ : 海外旅行記
    ジャンル : 旅行

    エッセイ(雑記)【10】昔見た女に再び出会う~1





    ※私自身のネット環境が変化したため、一時的に更新が滞っておりました。このようなブログへわざわざ訪問くださる皆様、いつもありがとうございます


    (2004年6月記す/2014年9月補筆修正/1694字)
     十数年ぶりに会った。彼女はおそらく家にひきこもりがちな生活を送っているのだろうと思う。僕はいつものように家から最も近い交差点に向かって歩き、途中で当然彼女の家の前を通り過ぎることになっていた。
     あれは衝撃的な出来事で、確かに出会ったそれ自体は確率として捉えるまでもなく非常に珍しいことだ。であるとしても、それを偶然と呼んで済ませるのを否定したくなる気持ちがことのほか強かった。元々接点の無いに等しかった彼女との間にある種の出来事があったという事実、同じことが他の人間との間に起こったのであれば全く気にもかけずにいるはずなのに、僕自身どうしても深い意味を感じざるを得ない。
     
     一連の流れはある意味での僕にとっての僥倖ではあっても――冷静に日を改めて考えてみれば、半ば無意味な夢に強引に意味付けをするほど――他人からしてみればどうということが起こったわけでもない。また過剰に意味付けをしたりあえて偶然性(または必然性)の演出を理解への試みに用いるのは、単純に起こった一つの出来事を、つまり現実世界に実際に出現した無色透明な事実をそのものとして捉えることを危うくする可能性がある。
     それは僕の望むところではなく、あくまでも象徴化や過剰な意味付け、いきおい物語化の文脈からの語りを可能な限り避けた上で淡々と伝えたい。過去・現在の出来事を媒介としてありのままの姿で眼前に表現される、最も単純な手法であり真実となるであろう。

     久しぶりに見た彼女は少しきつい目をしている印象を受けた。ただ現実のストレスから日常でもその目付きが癖になっているといったふうではなく、彼女の対社会への漠然とした態度や一般的な心理構成が、人に注がれる瞳をきついものにさせていたようにと思う。
     同時にその時は少しばかり怪訝さを覚えている様子だった。髪は長めのショートというか、短めのロングと表現したらいいか。体つきは細く、膝が少し内側へ向いた脚が長く。

     彼女は僕の横を通り抜けて行った。いろいろな記憶の断片やら、最近目にした誰かの写真について数葉の印象などが頭の中で複雑に絡まりあい、なにがしかの形をこの頭の中に現そうとしていることを気がつく。混乱と出所の分からぬ躊躇、僅かばかりの羞恥が無闇な方向への視線の往還を起こしているあいだにも彼女は横を通り過ぎ、さらに足早と遠ざかって行く。数メートル離れたところで記憶が巡る。数日前にたまたま見た卒業アルバムに載っていたのだ。
     僕とは全くと言っていいくらい接点の無い女性だった。というのもそれは姉の卒業アルバムだったから、載っている大半の小学生達(当時の)とは互いに顔を知らないのは、当然といえば当然だろう。
     昭和が終わりに差し掛かっていた頃のアルバムで、角もいくらか傷んでいた。ごくたまに、何故か昔の卒業アルバムを押入れから引き出してはなんの感慨も大抵はなく、クラスの集合写真やカメラ屋の指示で無理に作らされた笑顔の収められている、上半身のみからの出席番号順の写真を端から順番に眺めた。自分のものであるかどうかに問わず。
     卒業写真特有の妙な笑顔を浮かべている彼ら彼女らを眺めていると、ふと感じるのだ。どうしてこういったものに映る顔はどれも憐れに、そしていくらか歪んで見えるのだろうか。

     写真で見た時の彼女の顔はまだ幼く、幼い少女のわりに男性的な要素を窺わせるものだった。僕は先ほど本人とすれ違い自宅までの50メートル余りを歩きながら、そういえば小学生の頃にこの近辺の路上で初めて会ったことが少しの懐かしさを交え胸に浮かんだ。
     家族とともに引っ越してきたばかりらしかった。確かに当時は、長年の風雨に晒された外壁のトタンもだいぶ汚れ、あちこちが凹んだり浮き上がったりしていた我が家に較べれば、彼女の家は綺麗で都会的というか、とにかくも新しい家族の新しい家だったと記憶している。新居を目にした当時の印象は、あの身体[カラダ]を背景として確かに、らしく構えられていたものであった。と同時に静けさの中で妙に佇む、あるいは惑うと言ってもいい様[サマ]が何故か、必要以上の鮮烈さでこの現在にも思い出されたのだった。




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