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    日記帳から2003-2004【5】元女王~2





    ※2003年のものも含まれていたため、カテゴリ名を少し変更しました

    (1780字)
     ところで「神聖な――」という点について、こういう言い方自体が時代錯誤的な意味のないものなのだと皆が考えていると、私は思っている。Y先生もトピックの取り上げ方からして同様に、まず上記の文言をかなり批判的に捉えているのだろう。
     しかしそれらが作り出されたイメージに過ぎなくとも、男性で言えば高校球児は甲子園を死に物狂いで目指すし、サッカー青年は国立競技場でのゴールを、ラガーマンは花園でのトライを夢見る。女性であるならば恋愛を忘れ、本来の柔らかい肉体を改造し、陸上や格闘技など一部の激しい競技では月の生理を失うほどのある種代償を支払い、それでも華やかな舞台に上がることを切望するというのが現実だ。
     彼、彼女らはひょっとしたら幼い頃から――当時はどの程度意識的に取り組んでいたかは分からないが――、青年・成人期に至れば貴重な時間を注ぎ込む鍛錬を自ら求めるのだ。

     これがイメージ操作的なもので、特に男子の場合傾向が強いとはいえ、まずは性別問わず意図的に集団生活の中で個を消すことや倫理観を強制的に叩き込まれる、一種の軍隊式なスポーツ教育だという指摘も分からなくはない。本来個性を伸ばし、各自の持ち得る様々な特長を結集させる過程からよりよい成果を得ることを目的としている(個人競技でも仲間同士での切磋琢磨、競い合いが大切)はずのところ、未だに旧態然、硬直化した一方通行のシステムは厳に残っている。
     個人の罪を全体の懲罰であるとする考えも集団の中では良く見られ、社会でも延長線上の発想で人間を支配するやり方はそれなりに浸透(支持)している。が、ただし現代に至っては学校生活や、特に従前までは信頼し採用していた企業の人事管理・教育の側へ(からも)弊害が指摘されるケースも少なくない。
     最も批判の矛先を向けやすい部分として、これらが確かに色々と問題は含んでいることは事実としてまず捉えなければならない時期にあるのかもしれない。ただ現在においてはスポーツに携わる人達、プレイヤーだけでなくコーチも含めた育成・能力開発や教育のあり方が見直されているといわれていようと、過渡的なシステムの一部として最善とはもちろん単純に首肯は出来なくとも、教育(連帯的責任の良好なあり方・仲間意識の確立・子供に対するしつけ・情操)という点からすると全てを否定しきるのはやはり早計と言えないだろうか。

     あれら週刊誌の記事自体を私がどう感じるかについては、はっきり低劣で俗悪なくだらない読み物であるとすぐさま断じることに、決して躊躇を覚えない。ただ、こういったブランド化された性商品とでも呼べるものが、現代の性産業の関心の核の一つである事実は否定出来ない。
     イメクラやお宝もその一つである。お宝とは対象のネームバリューやら認知度、社会的立場がかなり明確な価値の尺度である。例えばある人物(主にタレントや有名人)は非常に強い趣向が現れやすい対象であったとしても、特段に性的イメージで要求する者が少数であるならばお宝市場における価値とは必ずしも相容れないのだ。当然だが、制作費をそれなりにかけ(芸術的と呼ばれる作品なら制作費は低く抑えられていてもいい、と業界内だけでなく世間でも認知されている)有名監督に撮ってもらった映画等々、一般的に世間からも評価のあるメディア以外で脱ぐことに抵抗がないか、あるいはないかに見える場合は言うまでもなくお宝対象としての価値は低いだろう。

    「競技Xの女王の裸体」は、コスチュームや特定の職業に対しての性的嗜好を捉えたイメクラ的なものとお宝の中間か、よりいくらかお宝に傾いているかもしれないがそれは被写体の知名度による。
     広告の時点では彼女はオリンピック候補の「有名」な選手だと言われていたが、抗議の内容によるとどうやら違うらしいとの線が濃厚だとか。仮に嘘であったとすると、「競技X」や「競技Xのコスチューム」への記号に対する欲情というレベルしか機能しなくなる。結局はそうなってしまったとしても、これは雑誌当初の話題づくりに成功し「競技X」好き、「競技Xのコスチューム」好きの耳目を集めることが出来たのだ。「お宝」好きにはあまり価値のないものになってしまい、それでも予想外に協会が騒いでくれたおかげで、世間一般の人々の注目を集めるまでにも期せずしてなったのは、ありがちな話だが皮肉な結果である。




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    エッセイ1話まとめ(雑記)【10】昔見た女に再び出会う






    (2004年6月記す/2014年9月補筆修正/3482字)
    〈1〉/〈2〉
     十数年ぶりに会った。彼女はおそらく家にひきこもりがちな生活を送っているのだろうと思う。僕はいつものように家から最も近い交差点に向かって歩き、途中で当然彼女の家の前を通り過ぎることになっていた。
     あれは衝撃的な出来事で、確かに出会ったそれ自体は確率として捉えるまでもなく非常に珍しいことだ。であるとしても、それを偶然と呼んで済ませるのを否定したくなる気持ちがことのほか強かった。元々接点の無いに等しかった彼女との間にある種の出来事があったという事実、同じことが他の人間との間に起こったのであれば全く気にもかけずにいるはずなのに、僕自身どうしても深い意味を感じざるを得ない。
     
     一連の流れはある意味での僕にとっての僥倖ではあっても――冷静に日を改めて考えてみれば、半ば無意味な夢に強引に意味付けをするほど――他人からしてみればどうということが起こったわけでもない。また過剰に意味付けをしたりあえて偶然性(または必然性)の演出を理解への試みに用いるのは、単純に起こった一つの出来事を、つまり現実世界に実際に出現した無色透明な事実をそのものとして捉えることを危うくする可能性がある。
     それは僕の望むところではなく、あくまでも象徴化や過剰な意味付け、いきおい物語化の文脈からの語りを可能な限り避けた上で淡々と伝えたい。過去・現在の出来事を媒介としてありのままの姿で眼前に表現される、最も単純な手法であり真実となるであろう。

     久しぶりに見た彼女は少しきつい目をしている印象を受けた。ただ現実のストレスから日常でもその目付きが癖になっているといったふうではなく、彼女の対社会への漠然とした態度や一般的な心理構成が、人に注がれる瞳をきついものにさせていたようにと思う。
     同時にその時は少しばかり怪訝さを覚えている様子だった。髪は長めのショートというか、短めのロングと表現したらいいか。体つきは細く、膝が少し内側へ向いた脚が長く。

     彼女は僕の横を通り抜けて行った。いろいろな記憶の断片やら、最近目にした誰かの写真について数葉の印象などが頭の中で複雑に絡まりあい、なにがしかの形をこの頭の中に現そうとしていることを気がつく。混乱と出所の分からぬ躊躇、僅かばかりの羞恥が無闇な方向への視線の往還を起こしているあいだにも彼女は横を通り過ぎ、さらに足早と遠ざかって行く。数メートル離れたところで記憶が巡る。数日前にたまたま見た卒業アルバムに載っていたのだ。
     僕とは全くと言っていいくらい接点の無い女性だった。というのもそれは姉の卒業アルバムだったから、載っている大半の小学生達(当時の)とは互いに顔を知らないのは、当然といえば当然だろう。
     昭和が終わりに差し掛かっていた頃のアルバムで、角もいくらか傷んでいた。ごくたまに、何故か昔の卒業アルバムを押入れから引き出してはなんの感慨も大抵はなく、クラスの集合写真やカメラ屋の指示で無理に作らされた笑顔の収められている、上半身のみからの出席番号順の写真を端から順番に眺めた。自分のものであるかどうかに問わず。
     卒業写真特有の妙な笑顔を浮かべている彼ら彼女らを眺めていると、ふと感じるのだ。どうしてこういったものに映る顔はどれも憐れに、そしていくらか歪んで見えるのだろうか。

     写真で見た時の彼女の顔はまだ幼く、幼い少女のわりに男性的な要素を窺わせるものだった。僕は先ほど本人とすれ違い自宅までの50メートル余りを歩きながら、そういえば小学生の頃にこの近辺の路上で初めて会ったことが少しの懐かしさを交え胸に浮かんだ。
     家族とともに引っ越してきたばかりらしかった。確かに当時は、長年の風雨に晒された外壁のトタンもだいぶ汚れ、あちこちが凹んだり浮き上がったりしていた我が家に較べれば、彼女の家は綺麗で都会的というか、とにかくも新しい家族の新しい家だったと記憶している。新居を目にした当時の印象は、あの身体[カラダ]を背景として確かに、らしく構えられていたものであった。と同時に静けさの中で妙に佇む、あるいは惑うと言ってもいい様[サマ]が何故か、必要以上の鮮烈さでこの現在にも思い出されたのだった。


    〈2〉/〈2〉
     相手は当然忘れてしまって(というよりも記憶しているはずがない)いることは言うまでもないだろうが、当時通っていた学校の通学路か、近くの商店街だったのかはっきりとは憶えていなくとも、であっても初対面の時の印象だけは強く残っている。
     その時は何かに恥じ入るような、または恐れる気持ちが強かった。同時に小学生の男子にありがちな反応、しかし僕にとっては珍しいといっていい、異性に対して不自然に映るくらい過剰な反発感を持ち、あえて遠ざけようとする心理もあった。ただ、凝視しつつも自身の興味の強さを気付かされ(あるいはおののいて)、直後にほとんど後ろめたさに似たものとして若干目を背けてしまう、そういった心の動きが起こるのは同年代の女の子全てに対してではなかった。感情の芽生えみたいなものが大体において遅いというか、どちらにしろ乏しかったこともまた事実であったから。
     僕は彼女の顔を見ないようにと視線を逸らせながら、やはり興味を抑えきれずに、結局は何度か視線の隅にその顔を捉えていた。微かに収まる視界の中から相手の視線の向きを受け取り、あくまでも相手に気づかれまいとしている最中にも、もう少ししっかり顔を見てみたいと何かの機会を窺っていたのだった。

     僕には人の顔や特に目を凝視する癖がある。それに対しては現在ではいい歳となった自らにありながら、どうにも収めることの難しい衝動的な欲求として居座り続けているのには辟易としているのだ。人の目を見ればある種のことは感じることは出来る。ただ結局は何かを分かったつもり、ふりでしかない。たとえば誰かがあることを考えたとして、相手の目を見たからといって具体的に何かが分かるわけではない。如何にも当然だ。
     敢えて言えば、何かが分かりそうといった感じがより強く錯覚されるというところだろうか。
     通り過ぎる人の顔ならば2、3秒ですれ違ってしまうからいいが、あの時は彼女の家の目の前で、僕は何も言わずにただじっと視線を送っていたのだ。
     自分の行動は当然気味悪がられても仕方が無いなと、今にしてみればごく自然な相手の反応だと言えるかもしれない。ただ当時は11、12歳の子供で、恋というものを実際には何も知らなかった。どういった感情を引き起こすのか、どこからの感情が恋で、それに至らない感情とは一体どこが違うのか。同学年のある少女に対して、憧れや敬いに近い感情と親近感を持ったことはあった。が、よくよく思い返してみればどちらかと言うと年長の女姉弟に対する思慕にほど近く、恋という正体不明の観念に化けることは無かった。何も知らない状態だった、そう観念的な恋すら。

     随分と長い一時にも覚え、しかしこちらが見つめていたのは1分にも満たないだろう。やがて彼女が家に入ろうとした時、こちらを一瞥する。瞬間の目は僕を軽蔑したかの見定め方で――。
     かつての視線へ現在からの意味付けが正しいかそうでないかは結局分からないが、ただ少なからず、得体の知れないものを不意に目の当たりにした時の警戒感らしきを両目は表していた。
     少女の視線は今になってみれば当然だなと理解しつつも、当時感じたことと言えば、結果として僕に対しなにがしかの興味を持たれたかもしれないといった手触りだった。自分でさえはっきり整理出来ずいくらか掴みかね持て余す、淡い、根拠のほどない無闇な期待。
     さらに現在になって振り返ってみるに、あの時の彼女の瞳に映る軽蔑や不安を表すに近い色は、あくまで心の表面しか指していなかったような気がして――つまり他人の行動に対して自らの意志がもたらした反応ではあった。とはいえ、とっさに半ば反射的にとりあえず主張する、児童期からの脱却を果たしかけ本格的な社会性を獲得しだしたくらいの年齢の最も初期的な段階に表れやすい、一種の習慣に近い女子児童の心理であって――、心の底では興味を惹かれていた部分があったのではないか、と。玄関を開けたのち一瞬立ち止まり、斜めに振り返られた顔ではあっても、相変わらず僕を直視して見据える姿を思い出すにつれ、これらの記憶をより確かに辿ることが出来る。何かが胸に引っかかったのではないかと信じないわけにはいかなかった。
     そして内奥に宿ったものは僕にとって好ましい変化をもたらすかもしれないと、知らずに生まれ未だ少女自身にはっきり意識されることなくすぐさま隠された、心への色付きの仄めかしからどうしても目を逸らせずにいたのだ。




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    日記帳から2003-2004【5】元女王~1





    ※カテゴリ名を少し変更しました
    ※※2003年のものも含まれていたため、カテゴリ名を少し変更しました


    (2373字)
     特に書くことが……いや、書くことはいくらかある。重要な問題ならばいくらかはあるし、そうでない問題なら数え切れないほどある。頭が痛い。酒の種類によっては私はすぐに酔ってしまうが、アルコール度数の点では勝る(高い)ウィスキーやブランデーの類は、胃の中を熱くさせ口腔から下の感覚を鈍麻させるだけだ。ダブルで5杯飲んでも、せいぜい頭を軽く押さえられている程度の感覚にしかならない。
     コニャックなどの強い酒を口にした時に舌が膨らむような感覚があると、某作家のどこかに書いた文章を以前読んだ気がするが、あの喩えは実に的を射ている。

    『〇〇(競技名、以下競技Xとする)選手のヌード騒動について、またそれに対する協会の抗議に思う』
    「彼女は女王(いわゆる)、チャンピオンであったことは無く――」これは事実か虚偽であるかは問えば良い。ある意味では非常に簡単に決着のつく問題だろう。しかし次の言葉が気になる「これら裸体を写すことは神聖なスポーツを冒涜していると考えられる――」という協会側の見解(意見)についてだ。
     これについて私はY先生とは違った意見を持つことになる。彼は女性の前歴が何であれヌードになるのは構わないし、そんなのは個人の自由だという。だったら元OLが脱いだら抗議されるか? 元警察官が脱いだら抗議されるか? という疑問を呈していた。元警察官は抗議される可能性はまああるだろうかと付け加えていたが、元OLであっても世間一般に知られる大企業の実名を出せば、抗議される可能性はかなり高いだろう。
     やはり、これは物事の本質をあきらかに見誤っているのだ。つまり元警察官はどういった状態であれ職を晒してヌードになれば確かに問題になるが、そもそもスポーツ選手ではない、彼女らいわゆるOLや例えば題材として以前は多く取り上げられたスチュワーデス、看護婦などが所属組織の分かる形でヌードを晒す場合でも、「神聖さ」云々とは別の問題を孕んでいるしそれを指摘されることはある。

    「ちょっと、例えば、以前内部で嫌なことがあったとして、彼女は組織に恥をかかせるような意図があったかもね」というY先生の発言に関して。
     まずそれらの行為は単純に、一個人によって所属組織全体へ好奇の視線が向けられる迷惑行為であるだけでなく、具体的に一定以上の被害があるか想定される場合には、名誉毀損や業務妨害等で訴えられる可能性も有しているというのを忘れてはならない。少なくとも人々は「あの会社のOLが、スチュワーデスが――」という目で見るのだし、そう感じるように掲載者側が仕向けているのだから当然だ。
     彼女らが後の人生を自由に生きるのはもちろん人間としての当然の権利、欲求である。とはいえ、なんらかの思うところがあったとしようと、昔世話になった(働いていた)組織に対し一方的・不意打ち的に、釣り合いの取れない不利益をもたらす行為はするべきではない。
     余程のことに対する報復行為ではあるまいに。そもそも自ら望んだ場合以外で女性が公衆に向けての裸を写すなど、その苦痛を考えれば報復にしろあてつけにしろほとんど考えられない。今回のようなものは、大体が扇情的な記事が売りの写真週刊誌でヌードになる時点で小遣い稼ぎが目的の大半なのはまず確かだろう。

    追記〈1〉2004/10/03
     自らがまず甚大な被害を受けたとの確たる理由も、応報行為への正当性を多少でも考慮する事実証拠等々何もなく――到底看過出来ない被害に対する賠償は当然、仮に報復的なものであるならばなおのこと冷静に司法の場で主張するべきであるし――、つまり法の場が客観的に情状酌量を認めていない。また、世間が同情を示してくる雰囲気もない程度の問題であるなら、例え本人にとってはどれほど個人的に憎んでいる相手でも、そのようなことはするべきではない。
     もし辞めた後でしか口にすることの出来ない内容で、しかも自らのこうむった不利益が非常に大きく、あるいは社会全体に及ぶ類の悪影響があるとする。そういったケースなら勇気を持って告発することが望まれるが。言うまでもなくヌードが対抗手段となるとは、普通は考えないだろう。 追記〈1〉了
     
    追記〈2〉2013/10/05
     また「彼女たちにどう反応するかは別にして、一般論としては開け放たれた性意識も含めた現代人の感覚というものを元職場達はどう捉えているのかな? さすがに今回話題にしている事柄はかなりセンシティブではあるけど、やっぱり、あまりにも鈍感というか人間を知らな過ぎ」とのY先生の発言を受け、以下私が思ったところ。
     およそ企業組織体に対して求める自体が無意味で、あるいは勤め人の姿が彼女(彼)らの全てであるなどとはさすがに考えていなくとも、知りようのない個人の個人的な側面はどうでもいいとしているだろう。
     通常如何なる企業や団体の側にも確かに、入社試験の際に行われる面談やら心理測定テスト等はあるにはある。しかし得られる答え以上、さらに細に入ったレベルと回数で手間を掛けても得られる収穫は少なく、結果を具体的な仕事やその他団体での働きにフィードバックさせることが可能でないならば、コストをかける意味もない。
     終始一貫、組織は目的に沿って最も効率よく運営され利益(成果)を得ることが全てであって、所属する各人はシステムの中で上手く立ち回る能力のみが評価の対象となる。個人的生活の中でどのような感覚(性的欲求を含む)を持って生きているかなど、よほどの問題として外部内部に限らず表面化するまでは本来は関係の無い問題だ。
     つまり、彼らのある意味人間に無関心な体質に文句を言うのは勝手だが、個人の自由と絡む問題でも当然あり、それが社会にもたらされる弊害となって現れ、現実的に解決されなければならない、または外側から強く要請される問題でない限りは、組織はあり方を変えはしないものだ。 追記〈2〉了




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    エッセイ(雑記)【10】昔見た女に再び出会う~2(了)






    (1792字)
     相手は当然忘れてしまって(というよりも記憶しているはずがない)いることは言うまでもないだろうが、当時通っていた学校の通学路か、近くの商店街だったのかはっきりとは憶えていなくとも、であっても初対面の時の印象だけは強く残っている。
     その時は何かに恥じ入るような、または恐れる気持ちが強かった。同時に小学生の男子にありがちな反応、しかし僕にとっては珍しいといっていい、異性に対して不自然に映るくらい過剰な反発感を持ち、あえて遠ざけようとする心理もあった。ただ、凝視しつつも自身の興味の強さを気付かされ(あるいはおののいて)、直後にほとんど後ろめたさに似たものとして若干目を背けてしまう、そういった心の動きが起こるのは同年代の女の子全てに対してではなかった。感情の芽生えみたいなものが大体において遅いというか、どちらにしろ乏しかったこともまた事実であったから。
     僕は彼女の顔を見ないようにと視線を逸らせながら、やはり興味を抑えきれずに、結局は何度か視線の隅にその顔を捉えていた。微かに収まる視界の中から相手の視線の向きを受け取り、あくまでも相手に気づかれまいとしている最中にも、もう少ししっかり顔を見てみたいと何かの機会を窺っていたのだった。

     僕には人の顔や特に目を凝視する癖がある。それに対しては現在ではいい歳となった自らにありながら、どうにも収めることの難しい衝動的な欲求として居座り続けているのには辟易としているのだ。人の目を見ればある種のことは感じることは出来る。ただ結局は何かを分かったつもり、ふりでしかない。たとえば誰かがあることを考えたとして、相手の目を見たからといって具体的に何かが分かるわけではない。如何にも当然だ。
     敢えて言えば、何かが分かりそうといった感じがより強く錯覚されるというところだろうか。
     通り過ぎる人の顔ならば2、3秒ですれ違ってしまうからいいが、あの時は彼女の家の目の前で、僕は何も言わずにただじっと視線を送っていたのだ。
     自分の行動は当然気味悪がられても仕方が無いなと、今にしてみればごく自然な相手の反応だと言えるかもしれない。ただ当時は11、12歳の子供で、恋というものを実際には何も知らなかった。どういった感情を引き起こすのか、どこからの感情が恋で、それに至らない感情とは一体どこが違うのか。同学年のある少女に対して、憧れや敬いに近い感情と親近感を持ったことはあった。が、よくよく思い返してみればどちらかと言うと年長の女姉弟に対する思慕にほど近く、恋という正体不明の観念に化けることは無かった。何も知らない状態だった、そう観念的な恋すら。

     随分と長い一時にも覚え、しかしこちらが見つめていたのは1分にも満たないだろう。やがて彼女が家に入ろうとした時、こちらを一瞥する。瞬間の目は僕を軽蔑したかの見定め方で――。
     かつての視線へ現在からの意味付けが正しいかそうでないかは結局分からないが、ただ少なからず、得体の知れないものを不意に目の当たりにした時の警戒感らしきを両目は表していた。
     少女の視線は今になってみれば当然だなと理解しつつも、当時感じたことと言えば、結果として僕に対しなにがしかの興味を持たれたかもしれないといった手触りだった。自分でさえはっきり整理出来ずいくらか掴みかね持て余す、淡い、根拠のほどない無闇な期待。
     さらに現在になって振り返ってみるに、あの時の彼女の瞳に映る軽蔑や不安を表すに近い色は、あくまで心の表面しか指していなかったような気がして――つまり他人の行動に対して自らの意志がもたらした反応ではあった。とはいえ、とっさに半ば反射的にとりあえず主張する、児童期からの脱却を果たしかけ本格的な社会性を獲得しだしたくらいの年齢の最も初期的な段階に表れやすい、一種の習慣に近い女子児童の心理であって――、心の底では興味を惹かれていた部分があったのではないか、と。玄関を開けたのち一瞬立ち止まり、斜めに振り返られた顔ではあっても、相変わらず僕を直視して見据える姿を思い出すにつれ、これらの記憶をより確かに辿ることが出来る。何かが胸に引っかかったのではないかと信じないわけにはいかなかった。
     そして内奥に宿ったものは僕にとって好ましい変化をもたらすかもしれないと、知らずに生まれ未だ少女自身にはっきり意識されることなくすぐさま隠された、心への色付きの仄めかしからどうしても目を逸らせずにいたのだ。




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