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    エッセイ1話まとめ(雑記)【7】私の顔






    (3868字)
    〔1〕/〔2〕
     おそらく私の頭の中を支配している感情はネガティブなものばかりなのだ。昨日だってそうだったが、ある仕事の途中で妙に薄暗く嫌な気分になり、どうしようもなかった。
     本当のこれだからこうなのだとの原因など分かるわけがない。ただ、自身に振りかかることが様々な形を持ち、あるいは形を持たずに大なり小なりのそれは突然に襲ってくる。例えば人の意見やらただの会話、または指示であることも。時には十メートル先から密やかに聴こえてくる、噂話のような形をした何かだった。しかも無視出来ない問題としては、仮にこの身に関わらない事柄が扱われていたとしても、場合によっては同様の感じになるのだ。

     私は特に人間嫌いというわけでもない。むしろ普段は、といっても少しでも鬱気味になると駄目だが、それでも人間関係に軋轢等々を起こしそうな言動に関しては――執心するとまではいかなくとも――案外気にする質なのだ。余程我慢しがたいとの思いかどうしても口すべきの確信がない限り、大抵は人の機嫌を損ねると疑らせるまでの発言自体を控えている。もし言わなければならないほどの状況になってしまったら、やはりとりあえず適当にごまかしてさらに相応しい時があるはずだと、自分に言い聞かせるだろう。

     現在勤め先の職場には如何ともしがたい難物がいる。言い争いなどはもってのほか、議論などという生産的な対話をする姿勢が向こうには全く存在せず、こちらにはほとんど頭ごなしの態度でしかものを言ってこないのだ。
     ある時は一緒にやっていた仕事の仕方について説教をされた。その言い分を整理すると、一番の古株である自分は、携わる工程に複数の人間がいる場合は好悪で彼女が勝手にパートナーを選ぶ権利があり、また瞬間々々に有する気分の単純な快不快に伺いを立てるのを忘れてはいけない、と。自分に特に気を払えということだ。
     あるいは余分に手間がかかり面倒(であってもやらなければならない)な作業となれば、とりあえず先延ばしにする。もしくは他に忙しそうにでも立ち回っている他人へ平気で任せてしまうことをしてもいい権利がある、とでも言わんばかりでいるようだった。職場で定めたルールに従わなかったり、自分の都合のいいように規則をねじ曲げたり無視したり迷惑さえかけているわけで、しかし当人にもそういった意識は全くないほどに思慮が欠けて、というより迂闊であるわけでもない。
     発言の際には相当の頻度である種の後ろめたさがあり、周囲の人間や若手の一人である私には特に、自分の考え方や仕事のやり方に従うよう半ば強いてくるのだ。言うなれば共犯者作りの一種だ。
     彼女は、何かあるたびに私より数倍の長さと厚みがあると誇る人生を持ち出して、自分の理解では仕事というものはこうこうこうやってやればいい――といった感じで自らの人生観や仕事観について語り出し、今時の若い奴は気が回らないとか図々しいなどと必ず最後に付け加えるのだ。
     彼女の求める気の利かせ方は、ようするに自分の代わりにもっとしっかり働けということらしい。それでいて簡単だが見栄えが良い、おいしい仕事だけは自分に残して(量や回数はこちら側でいい按配にしないといけない)、時々は思い立ってよっこらせと、過ぎたほどにも大げさにこなしてみせ――彼女の年齢的には許される、と少なからず本人は信じきっている演技をして――ちゃんと仕事をしましたよとの満足感をたまには得たいのだ。
     実際には言うまでもなく、自分自身の達成感を得る、より以上に彼女が求めているのは上手い仕事の手の抜き方で、またほとんど期待出来ない罪悪感からの行動などでもない。周囲の目に対するポーズとしての面のほうが明らかに、動機としてはおおよそを占めていることは間違いない。

     様子を窺っている私を含めた人間は当初、半ば辟易半ば恐々としながら重い腰を上げる一挙一投を遠巻きに眺めている。ただしいつまでも、というわけにはいかない。見ているのを本人にバレている上で声をかけずにいると後が怖いのもあるし、過重な作業をこなしている等の演技は次第に無言への変化の過程で実際的になっていて、相手の実年齢ゆえに放っていくわけにもいかない気分にさせるのだ。
     また、彼女のことを表面的にしか知らない別の部署の人間や、時間帯によっては暇を持て余し、一見無意味な巡察程度に四方を後ろ手に歩き回っている幹部職員に見られたくないからだ。若い連中が仕事をしていないのではなどのおよそフェアでない考えを、一瞬の思いつきにしろ頭に浮かび上がらせたくないといった理由で。
     こちらが仕事を一時放り出し手を差し出す時でさえ、すわ小走りで駆けつけなかったとなれば、助けるタイミングをわざわざ遅れさせたのではと疑ってかかってきたりするくらいが、まさに彼女なのだ。挙げ句、対応が恩着せがましいと見て取れば(ほとんど被害妄想だ)途端に不機嫌になってしまい、持ち上げようとしていた荷物をひったくってしまうこともある。


    〔2〕/〔2〕
     よく、その人の口癖で『いやらしい』という言葉を聞いた。たまには口うるさく嫉妬深い彼女とは違う他の立場にいるまともな人間とでも、色々仕事の話をすることがある。あまり込みいっていない、直接回答を求め合わない程度の話題としてだ。
     こちらが求められるままに何かを主張した際、まともではない側の人間(つまり難物の彼女)がたまたま同じ場に居合せていたりなどすれば、何を思ったのか、一瞥だけしてから吐き捨てるように、それでいてじんわりと身にしみる小声で『いやらしい』。今度は寸前まで仕事の話をしていたかの相手が部屋からいなくなった後、わずか数秒前に扉から出ていったばかりの背に向けられる『いやらしい』である。
     全く何がそんなに気に入らないのだろうか……。さすがに、他人の分まで含めた文句を私へだけ言ってくるよりも心理的負担が少ないのは望むべくところであるにはある。しかしその様子では、自分の居心地の良さを求めるあまりいずれ自らの首を絞めることになるのではないかとも、さすがに心配というかある意味では不憫にすら感じるほどだ。

     彼女とのあいだに何かがあるたびにうんざりした気分になるわけだが、だからといって職場を放棄するわけにもいかない。とはいえ一時的にせよ、普段からの打つ手なしと諦めの混じった感情をいよいよ強めつつ、さすがにも暗澹たる気分の極まりの際にはしばし事務所を離れ一人にならざるを得ない私。鏡をのぞきに洗面所へ向かうと、薄暗い照明も相まってなんともひどい顔をしている自分に対して、情けないと嘆息の混じった言葉しか浮かんでこない。
     少しだけ笑顔を作ってみようかと何気なく試みてみたところで、顔面の筋肉がひきつっているだけの滑稽な表情しか出来ないことに気づく。しばらくそのままに鏡を眺めていると、直前に歩いてきた廊下の反対あたりから呼ぶ声。よく聴いてみると声の主が例の彼女であることが分かる。
     その時は何も考えずに洗面所を後にしようとするが、去り際に思いがけず鏡が視界の端に入ることになった。こちらでは残念ながらうまく表情を作れなかったにも関わらず、あちら側は苦虫を噛み潰したかの意外に悪くない調子で口元が歪み、いやそれより目につくものとなる竦めた肩が首を窮屈そうにさせていた姿――。どうやら、無理に留められひずんでいるというより、全体が自発的に粘り腰の反発力を蓄えているとでも言いたげに、押し黙ってはいるものの着々と準備の整えられている不満が主張されているようだった。
     それでいて、鏡に映る瞳は確かに暗がりの中へ沈んでいたせいもあってか尚更、ステンレス製の流し台の光を反射して周囲から浮き上がる分だけ妙に不敵な生命力を宿していたのだった。俺はまだ完全にはやっこさんに打ちのめされていない、まだ大丈夫だと、むしろこちら側へなんとも陽性の励ましを送ってくれてさえいたのだ。
     
     ところで私の苦笑いというのを自分で想像している限りでは、如何にも実人生の重みがよりらしさの渋みとして顔に滲んでいる、60年代あたりの西部劇俳優のそれをイメージしている。
     人生に倦んでいるといったスタンスがあり、何に対してもまともに取り組もうとしないかつての英雄であった老いたガンマンが、ふとした事件をきっかけに街を守るため死地へと赴く終盤近くの場面。
     肉体は衰えたとはいえ腕に覚えが確かにあり、敵の数もそれなりのものだと予想されてはいるが勝算がないわけではない。しかし、あえて生きて帰ってこれなくとも構わないとのことを、周囲に伝える。
     死にたがりや世間に対しての無関心さは以前ほど強いものではないが、だからといって単なる照れ隠しのポーズであるというわけではない。自らの影に漆黒の杭を打ち込まれたように、生を確かに倦んでいることは事実だった。

     酒場で一人過去を回想する元英雄。単なる一時起こった気の迷いだろうと自分に言い聞かせながら、それでも軋む揺り椅子に凭せ掛けた体をむんずと起こす。手の内に持たれ口に一度近づけられた酒瓶が寸前の躊躇いからテーブルへと、出番を無くしすっかりぎこちない動きとなってしまった長年来の相棒に久方振りの油を差す。心を奮い立たせ街のために最後の戦いを迎えんとする男。
     無力からくる卑屈な無抵抗主義に何とか打ち勝とうとしている、最後の誇りを失うまいと荒野の酒場に数人の男女が集い、生きて帰って来て欲しいと伝える。
     男は何も言わずに片方の口角を心持ち引き上げ、ヤニにくすんだ歯先が一瞬見え――そんな苦笑いを私はしたいと、常に思っているのだ。




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