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    エッセイ1話まとめ(物語構成)【12】僕らはイカロス






    (※1)
    昔ギリシャのイカロスは
    蝋で固めた鳥の羽


    (全5327字/2012.10.22記す)
     小学校三年生までの僕には友達が一人もいなかった。微かにでも憶えている顔といったものすら一つもない。他の文章にも書いた通り、近所にそのような関係とおぼしき子供が一人住んでいたはずが、彼の姿は学校では一度も確認しなかった。だから正確に言えば、学校には一人も友達がいなかったということになる。

     いつ初めて声を掛けられたのかは全く記憶にない。どんなきっかけだったのか。

     自分がどこにいるのかはなんとなく分かっていても、そこで何をすればいいのかはいまいち理解出来なかった。まずはここにいなければいけないらしいとの決まり事を教えられる。そしてここにいるというだけで(いるのだから)、僕はどうやらふさわしい何かをしなくてはいけない状態にいつの間にかなっていた。
     休み時間にはただ周囲を見回しながら、何もすることがない自分に少しだけ気がつく。授業中には先生の言うことをなんとなく聞き、書けと言われた文字をノートに写したりしていた。
     何のためにそんなことをするのか分からず、周りの皆に合わせて筆記帳の見本に近づけるように文字の書かれた点線をなぞる。簡単な数の計算が繰り返し黒板の上で行われる。僕にも足す引く掛ける割る……の計算くらいはある程度理解出来たので、自分の目の前に藁半紙のプリントが配られると、言われるままに目の前のそれを解いていった。

     教室の後ろには一列にロッカーが並んでいたが、中ほど辺りで男子児童のR地に話しかけられていた。どんなことを話したか、霞むように手が届くかどうか曖昧な距離に浮かぶ件の場面以外は全く記憶にない。僕の中には他人に伝える意味や話す価値のあるものなど何もなかったと、いま現在思い返してみるとやはりそう感じる。

     休み時間になれば飽かずにも集まって話をし、笑い合って教室中を走り回っている同じクラスの中にいる彼らは何を見、何を求め、何を楽しんでいるのか検討もつかなかった。
     どうしてそんなことをするのか、何故よく知らない人間に話しかけないといけないのか。本当にしたくてしているのか。そういったことは少しだけ面倒だし苦痛だし、……右隅の細かな疵が窓から入ってくる昼前の光を幾重にも散らしている様子に一瞬目を惹かれながら、机の静まり返った左隅に向けて斜めに視線を落としやがて顔を伏せた。
     僕はこの文章を打っているいま、自分のことを馬鹿で無能な人間であると分かっているが、当時はそんな程度の事実すら気付かなかったのだろう。

     本棚においてある分厚いファイルをめくると、R地から受け取った封筒と半分に切られ畳まれた便箋が姿を現す。「また遊ぼう」短く一言だけ。小学校三年生の男子児童らしいあまり上手くない文字。封筒の表には僕の名前と差出人の苗字、切手は貼られていない。そして郵便番号の欄にはやはり僕の名前がある。
     見た感じからするとおそらく手渡しをされたか、もしくは郵便受けに彼は密かに投函したのかそんな姿も想像される。
     さらに小さな子供が行うごっこ遊びの延長線上とも言えるし、他人に手紙を出す等の社会的な行為に惹かれる部分があったのかもしれない。僕を『友だち』として公的に認める効力がそこにはあると、彼は周囲にも自分の意思を積極的に告げることになると期待したのか。
     家族の付属品としてではなく、多分、人生で初めて自分宛に来た手紙だ。両親宛の手紙の宛名に「皆様」として書かれていたとしても結局は、片隅のついでにといった具合でとりあえず小さな子供の様子を窺うための社交辞令とは違う。何故なら、その視線は実際にはこちらを向いてはいないから。





    〔2〕/〔3〕
     彼の家は坂の上にあるという。普段から外遊びなどしない僕は体力もあまりなかったので、随分と息を切らしながらこんな急な道を毎日登り降りするのは本当に大変だろうと喘いだ。
     考えも碌にまとまらないままにほとんどうつむきながら、時々空を仰いて大きく息を吐き出しつつ。彼は少し先を歩き指先で方向を指示し、顔を上げて確認をした僕は再び地面に視線を落とす。霞んだ遥か彼方にしか見えもしない行き先をこの目に捉え続けていることはどうにも耐えられず、下を向いて自分の足が間違い無く動いているだけを頼りにするしかないのだった。
     気がつけば、彼の家がすぐそこに見える曲がり角にまでたどり着いていた。ゆっくりと周囲を見渡しながら初めて目にした景色を確認する。R地は数メートル先で、まるで待ちわびたかの笑顔で僕を手招きしていた。
     大きな駐車場に面したアパートだった。戸数に対しては容量が多く、簡単な車止めがあるだけの鉄柵すら無い駐車場だったので、その辺り一面の地主が後から住居を一棟建てることにしたのかもしれない。順序はよく分からないが。

     内部は長方形をしていて、手前にダイニングキッチンがありさらに二部屋が続いている間取りだったと記憶している。玄関を開けると早速真ん中の部屋に案内された。
     しかし七割がた開け放たれた襖の先には寝そべって主人の帰りを待つ中型犬、シェットランドシープドッグの姿。僕は小学生当時犬を苦手としていて、中に入れずに躊躇していたこちらの素振りを見たR地が気を利かせ、一番奥の部屋に移動してくれたのだ。
     飼い主からしたらどうということもないのだろうが、その手馴れている一連の動作に感心したものだった。あんなに大きくて凶暴そうな(犬が怖い子供にはそう見えた)犬に言うことを利かせ声も一切上げさせず、全く抵抗する様子もなく従わせ隣室に移らせるなど信じられないと。
     TVを少しの間眺めていたがこちらが手持ち無沙汰にしていると感じたのか、しばらくしてから二人でゲームをやることになった。
     僕らの世代辺りからはありがちな光景として、子供同士で互いの家に呼び合った時にはファミコンを一緒にやる(当然ファミコンがあればだが、場合によってはゲーム機本体を友達の家にまで持って行く子もいた)、いわば新たな遊びのスタイルというものが作り出されて急速に広がり、結構な定番と言ってもいいくらいのものになったのではないかと思う。もちろん外遊びのほうが好きな子もいたし、のちに彼と二人で少し遠い地域にまで探検をしに行ったことも何回かあった。そういえば子供なりの無邪気なイタズラをして遊んだ、僕にしては初めてとなる経験をしたことも。

     幾時間かそれまでの全てを忘れゲームに熱中していたところへ、彼の母親が帰ってくると一度だけこちらに顔を見せ、すぐ忙しそうに食事の支度を始めた。R地は一見すると少しタレ気味の甘い目をした優男風だったが、較べると母親はいくらかはっきりした目鼻立ちをしていた。二、三言葉を交わしただけに過ぎなかったものの、口数は多くなく雰囲気は落ち着いていても、それはある種の大人の女性が持っている、子供を萎縮させる冷たさから現れたものではなかった。
     つまり、のちに会話をした時の表情からしてもそうで、時々パッと明るい表情をすることもある美しい人だったなと、いま輪郭は朧気であっても懐かしくある。
     帰りは自宅と彼の家の中間地点くらいまで送ってもらった。僕は見知らぬ遠くの街に出かけ少しだけ不思議な体験をした気分でいて、そしてまた呼ばれればいいなと帰り来た道を振り返ってみるさなかに微かな期待が胸に産まれていた。坂の上にいる彼の姿がいまは見えずとも、変わらず手を振っていてくれそうな気がした。





    (残2332字)〔3〕/〔3〕
     引越しをすると知ったのは小学校四年生のいつのことだったか。もう学校に来なくなった彼は、その日僕を自宅まで迎えに来て新築寸前の家に招いてくれた。つまり、個人的なお披露目を受ける運びとなったのだ。もうじき引き払う予定のアパートも結構遠いとは感じていたが、新居はそこから歩いてもさらに数十分の距離があり、学区が異なるために転校することになるのだという。引越し先までの道のりの長さは子供の身の丈としては最も単純に、実に冷徹なほどの現実の重みとしていやがうえにも知らしめさせた。

     綺麗な家だった。光がふんだんに取り込める天窓のついた、家族の集まる広いスペースがまずは目につく。
     少し現在の僕が補足する。機能的な造りの明るく使いやすそうなキッチン、伸縮式のはしごを登った先にある、子供が走り回れるくらいの高さと奥行きのある天井収納を始め、覗かせてもらった納戸も物を置くだけではもったいないくらいの充分過ぎる広さだ。周囲を囲む形の各部屋から中心のLDKへスムーズに、のみならず洗面所やバルコニーへは個室からも移動可能な複路になっていて、移動のパターンが時間帯や多少のプライバシー条件で変化した際にも、快適に利用が出来るようになっている。
     つまるところ住人の様々な利便性(個人的、家族集団的側面両者で)や生活動線を考えた上での設計なのだろう。
     僕は口を半分開け放ったまま、人の顔さえ反射しそうなほどに綺麗なつやのあるフローリングの床やら、ちょうど昼時の光が気持ちよく降り注ぐ天窓をただ感心と驚きに包まれ眺めていた。そして、いくらか照れくさそうでもあり誇らしげにも見える手に引っ張られ、最後に彼の城へ――子供部屋が用意されていることは言うまでも無い。
     膝をつき部屋の片隅で後片付けをしていた彼の母親が立ち上がり、ひと通り内覧を終えリビングへ戻った僕らを迎えるようエプロンを外した。同時に額の汗を袖口で軽く拭い、やや視線を合わせずにいた顔が向き直ると、幾分の疲れとそれ以上の充実感に満ちた柔らかい笑顔となり、ケーキがあるからと二人を促した。子供たちが椅子に腰を下ろすのを横目で確認してから、自分は少し冷めてしまった薬罐にもう一度火をかけた。中央は白い磁器製のタイルか何かだったか、二回り大きな分厚いガラスの天板が乗せられた、綺麗で頑丈そうで、高価そうな真新しいテーブル。

     ○○君また遊びに来てね。そうだ、夏休みになったら泊まりに来いよ。僕は声を掛けられる度に相手の顔を見直し、両親のことやら彼から話される以前遊んだ時の思い出などに丁寧に答えた。会話が一旦途切れ空白が開くと新しい学校へ転入するための準備について親子で話し始め、僕はなんとなくホッとするとケーキを包むビニールについたクリームをフォークで削ぎ何度か口に運んだが、ふとその姿が誰かに見られている気がして落ち着かなくなり、ビニールをさっさと畳んでしまった。すでに微温くなっていた最後一口の紅茶を、音を立てずに飲み込む。

     じゃあそろそろ時間も時間だから、ということになった。螺旋状の階段を彼に続いて降りていると、踊り場辺りで何故か突然自分の家のことが胸に浮かんできた。トタンの古くみすぼらしい外見をしているその姿は、綺麗な新居を目の当たりにしている僕に対して妙に悔しさや惨めさの込み上げる気分を与えた。自分の家の親もあんなに頑張って働いているのに、なんで……。少しだけ涙目になっていた。
     いま振り返ってみれば子供らしくもない、まるで嫉妬をする大人さながらの唐突なイメージの対比をもちだしてきたものだ。あの時の状況では優先順位の一見低そうな事柄に対して囚われているのが、可笑しく見えなくもない。ただ、とりとめのないようで案外気にすることであったりして、些細な物事について妙なほどに反応を示す心理の不安定さが子供にはあったりもする。
     
     いよいよ別れの時。またいつでも遊びに来てくれよ、R地は新居から出て最初に差し掛かる坂の頂上まで数十メートルを見送り、笑顔で二度三度と頷き大きく手を振ってくれた。それでも、もうきっと無理で、こんな遠くまで来れないと感じていた。坂の入り組んだ道は覚えられないし、それに違う学校に通う人間と遊ぶといった行為が本当は間違っていることなのかもしれないと、どうにもその怖さが拭えず――。
     僕には分からない。本当に、……本当に何も分からない。

    (※1)
    昔ギリシャのイカロスは
    蝋で固めた鳥の羽
    両手に持って飛び立った
    雲より高くまだ遠く
    勇気一つを友にして
     
     R地に教わった歌だった。この文章を書いている最中に思い出したことだが、件の曲の譜面はおそらく教科書に載っていた。確か、蝋の翼を持ったイカロスが悲壮な面持ちで空を見上げる、子供ながらに「何かを捨てなければ何かを得られない」との結末を想起させるイラストが隣に添えられていた。実際には音楽の授業で習って、曲(特に歌詞)を気に入った彼が薦め――そうじゃない、そんな経緯はどうでもいい。
     少年の胸の内にその歌が響き、何かを伝え、小さな心に小さな、いや彼にとっては大きな勇気と目覚めと、何より決意をもたらしたのだ。彼に教わりたての頃、旧居であるアパートから自宅への帰り道をゆっくり歩きながら、二番の内容をよく知らずにいた僕は一番の歌詞ばかりを飽くこともなく暗誦した。
     そして別れのこの時、再び口をついて出る。今度はメロディーに乗せて。
     遠い帰りの道のりに何度目の繰り返しとなっただろう。次第に涙で滲んでぼやけた視界の中、それでも長い坂をひたすらに下って行った。もう振り返っても何も見えない。二度目の訪問は多分……。さようなら『友だち』




    (※1)引用歌
     『勇気一つを友として』
    歌詞:片岡輝
    作曲:越部信義





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