スポンサーサイト

    上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
    新しい記事を書く事で広告が消せます。

    日記帳から2003-2004【5】元女王~2





    ※2003年のものも含まれていたため、カテゴリ名を少し変更しました

    (1780字)
     ところで「神聖な――」という点について、こういう言い方自体が時代錯誤的な意味のないものなのだと皆が考えていると、私は思っている。Y先生もトピックの取り上げ方からして同様に、まず上記の文言をかなり批判的に捉えているのだろう。
     しかしそれらが作り出されたイメージに過ぎなくとも、男性で言えば高校球児は甲子園を死に物狂いで目指すし、サッカー青年は国立競技場でのゴールを、ラガーマンは花園でのトライを夢見る。女性であるならば恋愛を忘れ、本来の柔らかい肉体を改造し、陸上や格闘技など一部の激しい競技では月の生理を失うほどのある種代償を支払い、それでも華やかな舞台に上がることを切望するというのが現実だ。
     彼、彼女らはひょっとしたら幼い頃から――当時はどの程度意識的に取り組んでいたかは分からないが――、青年・成人期に至れば貴重な時間を注ぎ込む鍛錬を自ら求めるのだ。

     これがイメージ操作的なもので、特に男子の場合傾向が強いとはいえ、まずは性別問わず意図的に集団生活の中で個を消すことや倫理観を強制的に叩き込まれる、一種の軍隊式なスポーツ教育だという指摘も分からなくはない。本来個性を伸ばし、各自の持ち得る様々な特長を結集させる過程からよりよい成果を得ることを目的としている(個人競技でも仲間同士での切磋琢磨、競い合いが大切)はずのところ、未だに旧態然、硬直化した一方通行のシステムは厳に残っている。
     個人の罪を全体の懲罰であるとする考えも集団の中では良く見られ、社会でも延長線上の発想で人間を支配するやり方はそれなりに浸透(支持)している。が、ただし現代に至っては学校生活や、特に従前までは信頼し採用していた企業の人事管理・教育の側へ(からも)弊害が指摘されるケースも少なくない。
     最も批判の矛先を向けやすい部分として、これらが確かに色々と問題は含んでいることは事実としてまず捉えなければならない時期にあるのかもしれない。ただ現在においてはスポーツに携わる人達、プレイヤーだけでなくコーチも含めた育成・能力開発や教育のあり方が見直されているといわれていようと、過渡的なシステムの一部として最善とはもちろん単純に首肯は出来なくとも、教育(連帯的責任の良好なあり方・仲間意識の確立・子供に対するしつけ・情操)という点からすると全てを否定しきるのはやはり早計と言えないだろうか。

     あれら週刊誌の記事自体を私がどう感じるかについては、はっきり低劣で俗悪なくだらない読み物であるとすぐさま断じることに、決して躊躇を覚えない。ただ、こういったブランド化された性商品とでも呼べるものが、現代の性産業の関心の核の一つである事実は否定出来ない。
     イメクラやお宝もその一つである。お宝とは対象のネームバリューやら認知度、社会的立場がかなり明確な価値の尺度である。例えばある人物(主にタレントや有名人)は非常に強い趣向が現れやすい対象であったとしても、特段に性的イメージで要求する者が少数であるならばお宝市場における価値とは必ずしも相容れないのだ。当然だが、制作費をそれなりにかけ(芸術的と呼ばれる作品なら制作費は低く抑えられていてもいい、と業界内だけでなく世間でも認知されている)有名監督に撮ってもらった映画等々、一般的に世間からも評価のあるメディア以外で脱ぐことに抵抗がないか、あるいはないかに見える場合は言うまでもなくお宝対象としての価値は低いだろう。

    「競技Xの女王の裸体」は、コスチュームや特定の職業に対しての性的嗜好を捉えたイメクラ的なものとお宝の中間か、よりいくらかお宝に傾いているかもしれないがそれは被写体の知名度による。
     広告の時点では彼女はオリンピック候補の「有名」な選手だと言われていたが、抗議の内容によるとどうやら違うらしいとの線が濃厚だとか。仮に嘘であったとすると、「競技X」や「競技Xのコスチューム」への記号に対する欲情というレベルしか機能しなくなる。結局はそうなってしまったとしても、これは雑誌当初の話題づくりに成功し「競技X」好き、「競技Xのコスチューム」好きの耳目を集めることが出来たのだ。「お宝」好きにはあまり価値のないものになってしまい、それでも予想外に協会が騒いでくれたおかげで、世間一般の人々の注目を集めるまでにも期せずしてなったのは、ありがちな話だが皮肉な結果である。




    [貴方の応援が励みになります!!]

    エッセイ・随筆ランキングへ
    にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
    にほんブログ村

    テーマ : 物書きのひとりごと
    ジャンル : 小説・文学

    日記帳から2003-2004【5】元女王~1





    ※カテゴリ名を少し変更しました
    ※※2003年のものも含まれていたため、カテゴリ名を少し変更しました


    (2373字)
     特に書くことが……いや、書くことはいくらかある。重要な問題ならばいくらかはあるし、そうでない問題なら数え切れないほどある。頭が痛い。酒の種類によっては私はすぐに酔ってしまうが、アルコール度数の点では勝る(高い)ウィスキーやブランデーの類は、胃の中を熱くさせ口腔から下の感覚を鈍麻させるだけだ。ダブルで5杯飲んでも、せいぜい頭を軽く押さえられている程度の感覚にしかならない。
     コニャックなどの強い酒を口にした時に舌が膨らむような感覚があると、某作家のどこかに書いた文章を以前読んだ気がするが、あの喩えは実に的を射ている。

    『〇〇(競技名、以下競技Xとする)選手のヌード騒動について、またそれに対する協会の抗議に思う』
    「彼女は女王(いわゆる)、チャンピオンであったことは無く――」これは事実か虚偽であるかは問えば良い。ある意味では非常に簡単に決着のつく問題だろう。しかし次の言葉が気になる「これら裸体を写すことは神聖なスポーツを冒涜していると考えられる――」という協会側の見解(意見)についてだ。
     これについて私はY先生とは違った意見を持つことになる。彼は女性の前歴が何であれヌードになるのは構わないし、そんなのは個人の自由だという。だったら元OLが脱いだら抗議されるか? 元警察官が脱いだら抗議されるか? という疑問を呈していた。元警察官は抗議される可能性はまああるだろうかと付け加えていたが、元OLであっても世間一般に知られる大企業の実名を出せば、抗議される可能性はかなり高いだろう。
     やはり、これは物事の本質をあきらかに見誤っているのだ。つまり元警察官はどういった状態であれ職を晒してヌードになれば確かに問題になるが、そもそもスポーツ選手ではない、彼女らいわゆるOLや例えば題材として以前は多く取り上げられたスチュワーデス、看護婦などが所属組織の分かる形でヌードを晒す場合でも、「神聖さ」云々とは別の問題を孕んでいるしそれを指摘されることはある。

    「ちょっと、例えば、以前内部で嫌なことがあったとして、彼女は組織に恥をかかせるような意図があったかもね」というY先生の発言に関して。
     まずそれらの行為は単純に、一個人によって所属組織全体へ好奇の視線が向けられる迷惑行為であるだけでなく、具体的に一定以上の被害があるか想定される場合には、名誉毀損や業務妨害等で訴えられる可能性も有しているというのを忘れてはならない。少なくとも人々は「あの会社のOLが、スチュワーデスが――」という目で見るのだし、そう感じるように掲載者側が仕向けているのだから当然だ。
     彼女らが後の人生を自由に生きるのはもちろん人間としての当然の権利、欲求である。とはいえ、なんらかの思うところがあったとしようと、昔世話になった(働いていた)組織に対し一方的・不意打ち的に、釣り合いの取れない不利益をもたらす行為はするべきではない。
     余程のことに対する報復行為ではあるまいに。そもそも自ら望んだ場合以外で女性が公衆に向けての裸を写すなど、その苦痛を考えれば報復にしろあてつけにしろほとんど考えられない。今回のようなものは、大体が扇情的な記事が売りの写真週刊誌でヌードになる時点で小遣い稼ぎが目的の大半なのはまず確かだろう。

    追記〈1〉2004/10/03
     自らがまず甚大な被害を受けたとの確たる理由も、応報行為への正当性を多少でも考慮する事実証拠等々何もなく――到底看過出来ない被害に対する賠償は当然、仮に報復的なものであるならばなおのこと冷静に司法の場で主張するべきであるし――、つまり法の場が客観的に情状酌量を認めていない。また、世間が同情を示してくる雰囲気もない程度の問題であるなら、例え本人にとってはどれほど個人的に憎んでいる相手でも、そのようなことはするべきではない。
     もし辞めた後でしか口にすることの出来ない内容で、しかも自らのこうむった不利益が非常に大きく、あるいは社会全体に及ぶ類の悪影響があるとする。そういったケースなら勇気を持って告発することが望まれるが。言うまでもなくヌードが対抗手段となるとは、普通は考えないだろう。 追記〈1〉了
     
    追記〈2〉2013/10/05
     また「彼女たちにどう反応するかは別にして、一般論としては開け放たれた性意識も含めた現代人の感覚というものを元職場達はどう捉えているのかな? さすがに今回話題にしている事柄はかなりセンシティブではあるけど、やっぱり、あまりにも鈍感というか人間を知らな過ぎ」とのY先生の発言を受け、以下私が思ったところ。
     およそ企業組織体に対して求める自体が無意味で、あるいは勤め人の姿が彼女(彼)らの全てであるなどとはさすがに考えていなくとも、知りようのない個人の個人的な側面はどうでもいいとしているだろう。
     通常如何なる企業や団体の側にも確かに、入社試験の際に行われる面談やら心理測定テスト等はあるにはある。しかし得られる答え以上、さらに細に入ったレベルと回数で手間を掛けても得られる収穫は少なく、結果を具体的な仕事やその他団体での働きにフィードバックさせることが可能でないならば、コストをかける意味もない。
     終始一貫、組織は目的に沿って最も効率よく運営され利益(成果)を得ることが全てであって、所属する各人はシステムの中で上手く立ち回る能力のみが評価の対象となる。個人的生活の中でどのような感覚(性的欲求を含む)を持って生きているかなど、よほどの問題として外部内部に限らず表面化するまでは本来は関係の無い問題だ。
     つまり、彼らのある意味人間に無関心な体質に文句を言うのは勝手だが、個人の自由と絡む問題でも当然あり、それが社会にもたらされる弊害となって現れ、現実的に解決されなければならない、または外側から強く要請される問題でない限りは、組織はあり方を変えはしないものだ。 追記〈2〉了




    [貴方の応援が励みになります!!]

    エッセイ・随筆ランキングへ
    にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
    にほんブログ村

    テーマ : 物書きのひとりごと
    ジャンル : 小説・文学

    日記2004【4】輪郭が風化する。残されたものは~4(了)






    (2517字)
     何よりも相手は色々な理由を並べ ――平穏な生活を営む一人間に対しては、過去の罪過を何とかしてまで突き止めていくのが(外圧・内圧を問わず)難しいのも当然ではあり――、彼の言う贖罪をどうあっても頑として撥ね付けるだろう。
     それら態度は、第三者の目から見れば仕方がないのではとも思わざるを得ない。もっと根本的なレベルで言うと、やはりそれを認めてしまえば、現在の自分を否定することになりかねない感覚を危惧したと想像するのは容易い。 
     理屈はおろか感情すらも伝わらない歯がゆさはO氏自身にあったとして、にしても実はかなりの程度で目の前の反応が当然なのだろうと、あらかじめ察して(諦めて)いた部分があったのかもしれない。
     そこで彼は「天罰」という言葉を持ち出してきたわけだが、かなり場違いな感じと言ったらいいか、口にした自身にすら、半ば自棄になって口をついて出てしまった瞬間のちに、後悔か羞恥かせいぜいバツの悪さを抱かせはしなかったか。

     事件が事件として意味を持つのは、一定の規則と合意によって秩序が定められ、多数の人間によって求められる姿が平時であると仮定している状態に対して、それを乱すことやまたは否定したときである。
     しかし今回は戦争という異常な状況の中で起こったとされる事件であり、となると変化が乏しくとも平穏安寧が最大の価値であるとする主張で形成された秩序の意味と、それが保たれている日常とは異なる規則と論理が戦争に存在することは、無視して論じたりは出来ない。確かに戦場での個々人の行為は軍規や戦争法によって厳しく戒められている一方、正式な手段を用いれば合法的に殺人が認められている状況は、常に人間性の逸脱を孕んでいると言っていいのだ。
     較べれば、憎しみや金銭に絡む個人の利害による殺人はある意味では健全ですらあるのだ。普段生命の尊厳や個人の権利の尊重をひたすら主張し、いずれ全地球人類に適用されるべき価値があると理念に掲げているはずの国家が一転、突然掌を返したように殺人を肯定(推奨)する。
     今回の事件(?)は、後数日で餓死するであろう現実を前にし人肉を口にしたという話だ。
     戦況の絶望感は生きる気力を失わせるほどであり、それでもやはり生存への欲求といったものはかなり強く、空腹になるにつれ増大する飢餓感は、あるいは戦場で生き残ることだけを正義とする一兵卒の倫理ではなく、またのみならず、ただ生きたいと願い行動する人間の最大最後に表れる欲求ではないだろうか。そう考えると、例の事件(?)を起こした当人を責められるのか、そもそもそれを事件と呼べるのだろうかという疑問に突き当たるのだ。
     
     ミッドウェイ海戦以降急速に制海権の範囲を狭め、補給路を立たれた南方戦線に向けて次々と送り込まれた兵士たちは、劣勢を告げられずにたどり着いた戦地で惨状を確認することとなった。
     銃弾で身体を貫かれ地雷で吹き飛ばされることは苦痛であっただろうが、一瞬で死んでしまうならばまだマシだったのかもしれない。
     南方戦線では物資の不足は食料どころか薬品にもおよび、赤痢やマラリア等の伝染病に長期間にわたって苦しめられた末に、なんの手も打てずに衰弱して亡くなっていった兵士が相当な数に上るといわれている。運よく病気に罹らなかった兵士、何とか病状を押さえ込み部隊に随伴する半死半生の敗残兵、現場では士官すらも空腹にあえぎ一兵卒ともなれば尚更であったと思われる。

     人間の掌を縦半分に切断してそれを口にするとき、結果的に元の形が分かれば分かるほど当然食べづらい。まずは人間の肉を口にすることに対して口腔や消化器内部からの拒絶感が、そして消化されるに従い自ら全体(身体・心・存在)が穢れへと苛まれる感覚があり、よしんば現在身体の一部になり命を繋いでいるものだとしても、やはり〈呪い〉の発生源の一つだといえるかもしれない。
     人間として「人間の倫理に背き、また純粋に沿い過ぎた行為」よって、身体性の保持の過程から統合に至る観念的なレベルの――O氏の場合あるいは越えた感覚で――異物・違和感、一種強烈な穢れの意識が引き起こされているのではないか。

     いつまでも打ち捨てすることを許さず(許されず)囚われた想いに従うが正しいと信じ、そうせざるを得なくなった彼はさらに自身に追い討ちをかけるように同じ言葉を発する。どこまでも自分を強迫・服従させ続けんとする、それが正に〈呪い〉なのだ。
     言葉で言い表せない感情は、元上官(病身の戦友とは別に訪ねた)との面会の後日にその長男を拳銃で撃ってしまうという、悲しき凶行の形で表わされたのだった。
     もはや、彼らの戦時中の行為を――特に組織的に行われたわけでない、個人的生命における最後に発せられた要請の末の蛮行であるとすれば――断罪することの不可能性について考えを及ばさなければならないのかもしれない。
     そこで彼にはいわば苦し紛れというかある意味のすがりつきとして、「天罰」という形で自らも戦友ももろともの断罪に最後の望みを託す以外、選択肢は残されていなかったのではないだろうか? 
     しかし「天罰」が覿面[テキメン]に彼ら(O氏はおそらく、自分の罪はもっとさらに重いと考えていたから)を罰してはくれない以上、ああいった全国行脚[アンギャ]のようなことをさせる自身の暗流とも表現出来る囚われの極まりに生きるしかなかった。結局は〈呪い〉からの解放を願い救いの求めすらも許されない、無間[ムゲン]地獄の絶望にしか居場所を見出だせずにいる姿、はっきりとした「天罰」の訪れをひたすらに待ちわびるむなしい姿だけがある、と感じてしまうのだ。

     戦場から数十年経て、法は変わり人心はそれを状況として認めざるを得ないか目を背けた。戦争犯罪人として最終的に総括されなかった者、特に一般兵、現代ではそんな罪無しの罪を裁く方法はない。
     彼が求める限りには自ら明確に残された輪郭も、ただ外側の人々にとっては色褪せた時代が後退する速度に付随して風化する。その中身(極限状況下における人間の「異常」心理)に理解の試みを全く止めた以降の時代では、元から存在していないとさえ見做されるかあるいは永久に棚上げされた罪だからなのだ。




    [貴方の応援が励みになります!!]

    エッセイ・随筆ランキングへ
    にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
    にほんブログ村

    テーマ : エッセイ
    ジャンル : 小説・文学

    日記2004【4】輪郭が風化する。残されたものは~3






    (1530字)
     兵士たちを代弁するという形で彼は熱に浮かされ、数十年前に死んだ若き日の戦友が乗り移ったかに激越して力強く、生き残りの老人に問いかける。映像を見た限りでは元戦友は半身に不自由を感じさせる身体を寝床に横たえていた。
     何故あのような行動に出たのか――ついに掴みかかろうとするところはさすがに相手の状態を考えれば暴挙としか言えないが、であろうとどうしてもせざるを得なかった――、それが分からない人間には後のことも、取っ組み合った事情も理解出来ないはず。O氏は一見すると、というよりもあの場の相手からは狂人じみて見えたに違いない。しかしもちろん彼は狂人なのではなく、ただ単に、純粋にと言っていいほど戦中の忌まわしい事件について究明したいとの気持ちと、さらにより強い謝罪心だけが――本当は自殺願望だったのかもしれないが――前面にあったのではないか? 
     もはや戦後四十年ののち、自らを騙し々々それすらも到底意識に上らなくなった戦友たちや、直接関係の無い家族にしてみれば、突然の不吉な訪問者の行動は「なぜ今さらそんな話を?」「わざわざ思い出させないでくれ」と戸惑い、疎ませるものだったかもしれない。
     確かに家族は実際当事者でないのだからとしても、やはり親(親世代)の体験を記憶することが望まれる責任に近いものを負っているし、老人に対して酷な言い方かもしれないが――当事者に至っては絶対にそのことを忘れたり(忘れた振りをしたり)、無視をしていたりするのが許される問題でないことは言うまでもないのだ。


                    3月5日

     Hello!! (ひさしぶり)
     一連の行為は戦争犯罪というものなのではないだろうかと設問し、そもそも戦争犯罪とは何であるかについても考えを及ばせつつ(可能ならば)、さらに如何ばかりか筆を進めたい。
     私は元戦友の居場所を突き止めわざわざ老身を推して迫り、さらに掴みかかろうとするまでに至った行為を呪いと書いたが、それを証明したり裏付けるとでも言おうか、囚われていると感じさせるような実際の行動を画面で目にした。彼からはしきりに「天罰」という言葉が口をついて出、あなたが足を悪くしたのも「天罰」だし、こうやって戦後四十年近く経って、なおも思いを吹っ切ることが出来ずにいる自身も同様であるとO氏は断言する。
     天罰とはなんとも耳慣れない言葉であるし、贖罪[ショクザイ]を求める人々の頭を押さえつけまたは罪人を裁くための口実としては最適のものだ。私は最初ここに胡散臭さを見たことは確かだ。彼自身(O氏)仏教徒であれキリスト教徒であれ、神仏を熱心に拝している場面であったり、直前までの言動からしても深い帰依[キエ]をしているところは窺えず、少なくともそんな様子は映像内には表れない。
     突然「私がこうしているのは――」とまではいいとしても、続いて本来は感情を伝えるのみでなく自分の行動が意味するところへと理解を求め、思い出し振り返って真に過去を認めさせなければならないはずの相手に向かって、何故天罰という目に見えないまるで一足飛びの論理を持ち出し、それを求めるものにとって都合の良いかなり強引な言い方に変えてしまったのか。
     しかも、実際に身体を悪くし長い間苦労を味わっている人間に対して、「あなたの足が悪いのは」天罰が理由だなどと言ったら、とりあえず心証を悪くすることは間違いないのだが。実に不思議でもあり、多少滑稽にも映るといった反転した印象は避けがたい。
     それらの見方でいると、ついに足の悪い戦友を殴った行為や警察を呼んだ行為も白々しい茶番のように見えてしまうのだった。つまり、彼は自分自身の気分を完全には整理も出来ず、仮に相手へ伝えても罪の意識を植えつけるだけの効果が無いこともなんとなく分かっていた。




    [貴方の応援が励みになります!!]

    エッセイ・随筆ランキングへ
    にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
    にほんブログ村

    テーマ : エッセイ
    ジャンル : 小説・文学

    日記2004【4】輪郭が風化する。残されたものは~2






    (1550字)
     周りの(クラスの)人間は「いきなり今さら来られたって」とか「迷惑なだけだ」などと口々にする有り様。とはいえありがちな、予定調和へ傾いた波風の立てない反応を試し々々口にしたのだろうと理解したところへ、しかし結局、彼らから期待に続く言葉は発せられなかった。比較的席の空いていた昼下がりの教室では各々、あくまでも自由な楽な姿勢でテレビに身体を傾けていた。
     クラス全体で見ると残っているのは半分の人数しかいなかった。元々人気があるとは言い難い講義だったし、後の半分近くは早々に学校から立ち去ったか、家に帰るか街中でうろうろとしていたのかもしれない。

     話を戻すとつまり、戦争を共にした男たちにはO氏と同じく過去の現実が現在にまで重みとしてのしかかるべきであって、決して忘却のかなたへと逃げ去ることは許せなかった。おそらく自分自身に対してはさらなる苛烈さでだろう。
     時代も異なる当事者でもないこの身で、責任意識を感じてみる困難さ、自ら判断をせずにいられる立場にあることで私に差し迫る息苦しさは無く、目の前に示されたO氏からの要求・糾弾を受け入れるか拒否する以前に、ひとまず冷静に考えられる幾分かの距離感を少量に意識しつ、それでもやはり至極当然だと思えた。

    追記 2013・10・20  クラスメイトへ手前勝手な弁解を少ししたい。当時の私は正直にいえばこんなこともまず感じた。
     古いフィルムへ着実にその場で動くことなく封印された、古い空気や彼から主張される熱気もまるで位相がずれていて、現代人に理解しづらい昔流行った感情表現のように阻害要因としてあり、色彩の不鮮明な牧歌的なカラー映像は妙に読み解きの難解な錯綜したグロテスク映像と勝手に受け取れつつ、同時に一歩間違えば滑稽さに転落しそうな暗黒シュール劇の雰囲気に拍車をかけているふうに、まずの第一印象として持ってもいたのだった。 (追記了)

     彼はそれを明確に意識していて、一方で目を背けようとする――ほとんど忘却の彼方の出来事として――元戦友の精神の深く底流にも、薄まり弱まったとはいえ未だ流れているもの、一言でいえば〈呪い〉だ。
     これは主に日本古来から存在している、例えば密教や陰陽道等の教えの中で取り扱う、特殊な儀式を行うことで超自然的な力によって現実に影響を及ぼそうとする呪術のことを指しているのではない。
     いわば宗教的特殊技能の一連で体系化されたオカルト的力能ではなくもっと原初的な、つまり死者の感情。〈呪い〉とは、死者の記憶が然々であったに違いないという強い囚われから逃れられない心理状態を指し、またそこから発生する。

     死者であるがゆえ感情の行き場も収まりも無く、結局は感情の質や方向を想像する(考える)生者側から産み出された想起である。しかし生者が一方的に見出した感覚であっても、死者の感情(どこまでも想像でしかないが)から生者の想起へと、単に偶然の思いつきによって見いだされたわけではないのだ。
     死者の感情は当然形がはっきりしない。ただ、起因も理由もそれからであったにしようとも、関係性の深浅に関わらず、受け取れる人間と受け取れない人間がいる。共鳴する周波数(これを規定するのも生きている受け取り側、正確に言えば意識・無意識的にせよ受け取りたい側ではある)を持つ死者と生者の同調によって増幅され固着化した想念と感覚、それが〈呪い〉なのだ。
     氏の過去を悔いる感情が強ければ、また死んだ戦友についてを考えれば考えるほどに自身を囚らえ、苦しめる。一方、寝床で過去を忘却の彼方に葬り去ったことさえもしばしのあいだ失念としていた戦友は、老体に及ぶ自然な生理としての忘却が理由ではなく、資格を喪失または放棄した者となったからこそほとんど受け取る(〈呪い〉を実感)ことが出来ない。
     ゆえに、失望と怒りが今にも覆い尽くさんとする身を以ってして、彼に思い出させたい、せめてこの現実が「あの」過去から続いているのだと認めさせたいのだ。




    [貴方の応援が励みになります!!]

    エッセイ・随筆ランキングへ
    にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
    にほんブログ村

    テーマ : エッセイ
    ジャンル : 小説・文学

    天気予報

    -天気予報コム- -FC2-
    プロフィール

    Ununz

    Author:Ununz
    Ununzです。自作小説・エッセイ・他雑文・ 夢日記・旅行記を発表していきます。御用の方は[junejulyonline55@gmail.com]か、ページ下部にあるFC2メールフォームからお願いします

    なおリンクを随時募集しております。相互リンクを御希望の際はカテゴリ【リンク関連】へコメントを頂ければ助かります

    ランキングに参加しています
    まだまだ、もっと大きくなります。これからです
    最新記事
    月別アーカイブ
    カテゴリ
    全記事表示リンク

    全ての記事を表示する

    お気に入り 修正版
    登録&ひろがるリンク(BlogPeople用)
    ブロとも一覧
    リンク
    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    メールフォーム

    名前:
    メール:
    件名:
    本文:

    検索フォーム
    RSSリンクの表示
    CustomRssReader
    村内回覧板
    QRコード
    QR
    カウンター
    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。